2026年9月27日日曜日

691. 滋賀の甲良から福岡の香春神社、高良大社へ

友人の草場氏の話によると、福岡と滋賀には、同じ

名前が多いとのこと。

確かに大津とか、長浜ラーメンとか・・・。

高良大社と甲良神社、香春(かわら)神社と小川原

神社。河原の庄の西東。甲良はかはらと読むべし。

今回福岡を訪ねると、香春神社の近くには仲哀トン

ネルがあり、仲哀の名水があった。神功皇后の夫、

仲哀天皇弔いの場所香椎宮は福岡市にある。高良大

社のある高良山おくんちが、毘沙門天を祀る奥宮で

あり、南北に福岡と熊本を結び、東西に佐賀と大分

を結ぶ大十字路、交差地点としての位置にあること

を知った。神功皇后が応神天皇を産んで、飯塚から

ショウケで運んだショウケ越えや、時代は違うが、

大海人皇子の最初の妻で高市皇子の母である尼子姫

の父、宗像氏の宗像大社等、今回訪問できなかった

地域について、地名を含めて今後の課題としたい。

高良大社は、息長氏と高良玉垂姫を祀りつつ、武内

宿禰を祀る神功皇后の神社で履中元年西暦400年

の創建とあった。江戸末期に於いて天台僧26ヶ寺

360坊があったという。


2026年9月18日金曜日

690. 690年庚寅年籍と双六禁止令

持統天皇の時代になって、天智天皇の時代の庚午年

籍に継いで、庚寅年籍という全国的な戸籍が作成さ

れた。更に、それに先立ち双六禁止令が発令された

そうです。当時の「双六」は、現代の私たちが知っ

ている「絵双六」ではなく、「盤双六」と呼ばれる

ものでした。これは2個のサイコロを振り、戦略的

に自分の家来のコマを動かしていく、「バックギャ

モン」のようなボードゲームだと、グーグル君の見

解です。韓国にパチンコ屋さんは存在しませんが、

庶民を虜にする存在はいつの世にもあって、最近は

クレーンゲーム屋さんが、パチンコ屋さんに取って

代わろうとしています。

韓国語、滋賀/長浜・ひこね: 306.平城京の土器に韓国ゲーム



本日の読売新聞、北朝鮮関連2件


2026年9月17日木曜日

689. 息長宿禰と神功皇后


日撫神社御由緒

『延喜式』神名帳に記載されている坂田郡の式内社
(名神小社)です。伝承では、神功皇后の祖先が代
々住んだ地とされ、皇后が三韓征伐の帰途に父・息
長宿禰王と少毘古名命を祀ったのが始まりとされて
いる。即ち、大和から瀬戸内海を経由して筑紫国に
赴いた神功皇后は、現地で応神天皇を産み、籠(シ
ョウケ)で背負って飯塚の大分(だいぶ)八幡宮に
向かわれた(ショウケ越え)更に、帰途は対馬海流
に乗って、日本海を北上し、敦賀に降り立ち、加羅
来道を越えて、琵琶湖の大浦から、竹生島を経由、
親元の近江町顔戸に立ち寄り、ここに父・息長宿禰
王と少毘古名命を祀ったのが始まりとのことす。地
名の顔戸(ごうど)は神戸、GODにもつながる。
後漢霊帝四世の孫、阿智使主の族也とあります。
後漢霊帝とは誰なのかを検証してみます。
漢は韓で加羅を指し、後漢とは、400年の高句麗
広開土王の襲撃で金官伽耶が撤退し、洛東河上流に
位置し盟主国となった大伽耶(首都:高霊)です。
霊帝の4世の孫が阿智使主で、阿直岐(阿自岐)は
犬上郡豊郷町安食に居を構え、後に応神天皇の第1
皇子の教育を任され、王仁博士を召喚している。
境内では毎年9月第3月曜日に、800年の歴史が
あると伝わる奇祭「奉納角力と角力おどり」が行わ
れます。


2026年9月9日水曜日

688. 近江西明寺と二階堂宝蓮院

近江西明寺と二階堂宝蓮院は、どちらも滋賀県(近

江国)に存在し、「織田信長の焼き討ち・破壊」と

いう歴史的な悲劇で深く結びついている歴史的な寺

院です。 [1, 2]

それぞれの概要と、両寺を結ぶ歴史的背景は以下の
通りです。 [1, 2]

1. 近江西明寺(さいみょうじ)
  • 概要: 湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百
済寺)の一つに数えられる天台宗の古刹です。 [1]
  • 歴史と特徴: 平安時代初期(834年)に
仁明天皇の勅願により開創されました。鎌倉時代

に 建立された本堂と三重塔は、釘を一本も使って

いない純和様建築であり、国宝第1号に指定され

ています。[1, 2]
  • 信長の焼き討ち: 元亀2年(1571
年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際、その

火は湖東地域にも及びましたが、西明寺は幸いに

も本堂や三重塔、二天門などの主要伽藍が焼け残

り、当時の貴重な姿を現代に留めています。 [1]
2. 二階堂宝蓮院( ほうれんいん)
  • 概要: 甲良町下之郷にあったとされる、
鎌倉幕府の有力御家人・二階堂氏の菩提寺です。

現在は寺院としては残っておらず、「二階堂宝蓮院

跡」として石碑や史跡が残るのみとなっています。

[1, 2, 3]
  • 歴史と特徴: 鎌倉時代末期の知将である
二階堂道薀(にかいどう どううん)がこの地に居

住しており、彼のゆかりの広大な大寺院(西大寺

近江八大寺の筆頭)として栄えました。本尊は、

約5メートルの巨大な「丈六阿弥陀如来(二階堂

仏)」でした。 [1, 2]
  • 信長による破壊と本尊の移設: 織田信長
が近江を攻めた際、二階堂宝蓮院は完全に破壊さ

れてしまいました。信長はその後安土に「浄厳院

(じょうごんいん)」を建立し、宝蓮院の本尊で

あった阿弥陀如来をそこへ無理やり移設させまし

た(現在も安土の浄厳院に本尊として安置されて

います)。 [1, 2]

両者の位置関係と繋がり
  • 地理的近さ: 西明寺(甲良町池寺)と二
階堂宝蓮院跡(甲良町下之郷)は車で数分の距離

にあり、同じ甲良町内の鈴鹿山麓平野部に位置しま

す。
  • 文化財の関わり(平 景吉): 西明寺にあ
る重要文化財の「石造宝塔」(1304年造)を建

てた名工(石大工)平景吉(たいらの かげよし)

は、二階堂氏が権勢を誇った鎌倉時代後期にこの地

域で活躍した大工です。この地域の鎌倉文化の隆盛

において、西明寺と二階堂氏は深い文化的背景を共

有していたと考えられています。 [1, 2, 3, 4]
信長の近江侵攻によって、「奇跡的に国宝が焼け残
った西明寺」と、「完全に破壊され本尊を安土へ奪
われた二階堂法蓮院」という、対照的な運命をたど
った二つの名刹と言えます。 [1, 2]
扇状地に水を引いた下之郷川

二階堂宝蓮院とともに西大寺の近江八大寺とされた

安土の佐々木慈恩寺は、織田信長によって焼失し、

跡地に浄厳院が建てられた。その住所は現在も安土

町慈恩寺で、立派にそびえ立つ楼門は室町時代建立

のものだという。秋には例年、浄厳寺国際芸術祭が

開催されているそうです。





2026年9月8日火曜日

687.祝백일。延べ144,000回の閲覧履歴達成!

このブログNO.646回、昨年の11月11日に

延べ7万人突破の記録があります。10ケ月足らず

の41回更新で18年間続けてきたブログが一気に

2倍の方々に閲覧されるようになりました。これも

AⅠの進化によるところが大きいのでしょうか?

賤ケ岳から臨む竹生島

その時のブログの内容がヨハネの黙示録第12章で

した。

https://han-guru.blogspot.com/2025/11/646-12.html

それならば、延べ14万4千人突破記念は、当然の

ことながらヨハネの黙示録第14章です。

なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの

山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と

共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書か

れていた。 またわたしは、大水のとどろきのよう

な、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞い

た。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴を

ひく音のようでもあった。彼らは、御座の前、四つ

の生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。

この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほか

は、だれも学ぶことができなかった。