2026年2月2日月曜日

657. 名前の由来

小谷城歴史資料館

小谷山に登ろうと準備して家を出ましたが、北に向

かう途中雨が降り出したので、余呉の雪化粧を見て

引き返しました。それから目的の登山口に着くと、

そこは小谷城歴史資料館の駐車場でした。(登山は

天候不良で中止)豊臣兄弟の影響で再び(大河ドラ

マ18回目だそうです)脚光を浴びる浅井3姉妹の

お話を、ガイドの大谷さんからお聞かせいただきま

した。秀吉というと大谷吉嗣を思い浮かべて尋ねて

みました。

「おおたに」と「おだに」長音と濁音のコラボレー

ションです。大谷吉嗣は長浜市余呉町小谷(おおた

に)の出身です。 「小谷」と書いて「おおたに」と

読みます。ここで、大谷吉嗣は元は小谷吉嗣だった

ことがわかります。秀吉におおたになら大谷にしろ

と命令されたのではないでしょうか。記録にないの

でわかりません。しかし、秀吉は今浜を長浜に替え

ています。信長の長をもらったものと考えていまし

たが、長政の長でもありました。(茶々入れです)

次に濁音です。古い書物には「をたに」と書かれて

いて後に「おだに」に変わっています。言葉の変遷

をみると、韓国語はパッチムが発達し、日本語は濁

音が発達して行きます。名前に濁音を忌み嫌い清音

で読ませた時代において、浅井、朝倉と戦国武将を

並べてみると浅いと書きアザイと読ませたのも不思

議なことです。元の「あさ」は朝につながるように

も見えてきます。

さて小谷城の隣には先日訪れた小谷寺があります。

こちらの如意輪観音様は全てご存じなので、クラウ

ドファンディングが成功して、はやく世に顕れ出て

来られることを願うばかりです。伽耶を通じた海の

ルートから入ってきたもう一つの仏教のルーツを、

浅井三姉妹を通じて世間に伝えようとしているかの

ようです。



2026年1月25日日曜日

656. ジェンダーの話と夫婦別姓問題

ひところ巷の話題を集めていたジェンダーのお話と

夫婦別姓の問題は、昨秋の高市内閣の成立以来ひっ

そりと影を潜めてしまいました。今回の衆議院選挙

において、この問題を取り上げても勝算が見込めな

いことが折り紙付きなのでしょうか。女性の活躍推

進が地域や社会の様々な場で活性化をもたらし、明

るい兆しが見えかけています。

ところで、お隣の韓国は夫婦別姓です。結婚後も姓

は血筋のつながりを示すものとして変えないのが伝

統だからです。儒教思想と血統の重視だそうです。

日本に於いては、民法750条で夫婦同姓が義務付

けられていますが、令和4年の婚姻に於いて約95

パーセントの妻が夫の姓を選択しているとAIが教

えてくれました。嫁入りの字のごとく、家に入ると

いうことなのでしょうか。ところが私の地元の現状

を踏まえて見ると、データとはかけ離れた割合で妻

の姓を名乗っている方が多いように見受けます。

地域の特性と片付けていいものなのでしょうか?

またハンちゃんのなぜ❓が顔を出します。

荒神山にて



2026年1月24日土曜日

655. うじのわきのいらつこ

莵道稚朗子と書いて京都の宇治に関連する名前とい

われています。応神天皇の時代に皇太子の教育担当

として阿直岐がいました。天皇が「汝に勝る博士は

他にいるか」と尋ねると、王仁(わに)という者が

いると答え、千字文、論語伝来の契機となった。

さて、幼名にウジの湧きのイラつ子と名付ける親の

気持ちを想像してみましょう。天皇が長子を授かり

その成長を願うわけですが、その名前に、ウジが湧

く、イラつくと敢えて忌むような言葉を使うのは、

阿直岐の教育の賜物ではないかと思います。韓国ド

ラマでケトンと呼ばれる子供がいます。犬の糞の意

味です。魔除け、子供の成長を願う親の気持ちが詰

まっています。つまらないものですが…と差し出す

文化に引き継がれているようです。結果として、莵

道稚朗子は王位につかず異母兄の仁徳天皇へと時代

は進みます。

犬上郡豊郷町高野瀬


2026年1月15日木曜日

654. 日韓ドラム外交と衆議院解散総選挙

高市総理の外交手腕は、米軍基地でのトランプ大統

領とのスピーチで垣間見れましたが、今回の李在明

大統領との奈良会談でも、十分に発揮されたように

思います。トランプ大統領が西半球という時、東半

球に位置する日本と韓国は、共に歩むしかない状況

が突きつけられています。あたかも、2002年に

日韓ワールドカップが双方の意思によらず共同開催

されたように…

そのような中で、1月解散はない、6月かとマスコ

ミが衆議院議員選挙を予想する中、萩生田氏が更な

る先送りを進言しました。すると総理は矢継ぎ早に

1月解散のカードを決断しました。旧統一教会の問

題に対して、日本以上に厳格な対応を示唆している

李在明大統領と、二人でドラムをたたいた映像は、

その親密な連携をアピールしました。旧統一教会の

解散命令発動前に短期決戦をなし、話題を選挙戦に

集中させて長期安定政権の布石とするのでしょう。

野党の慌てぶりが見て取れます。

加茂神社にて






2026年1月9日金曜日

653. 2026丙午年の始まりです

栗東市日向山(にっこうやま)からのご来光

あけましておめでとうございます。

新年を迎えて、いろんなニュースが報道されていま

す。殺傷事件や事故、島根県東部地震から世界に目

けると、アメリカによるベネズエラ攻撃と大統

領拘束、韓国大統領の中国国賓訪問。本の行く末

を考える上で重要な懸案が並んでいます。

来週、奈良で行われる予定の日韓首脳会談で歴史に

ついて共通の認識にどれだけ近づけるか、注目した

いと思います。

さて丙午年ひのえ【火の兄】うま年の始まりです。

少子化問題を考える時、歴史的にも意味を持つ年で

す。古代から情熱や変化を象徴し、物事を大きく広

げていくエネルギーに満ちた年とのことです。

佐々木神社のロウバイ

旧蒲生郡安土町にある佐々木神社に行って参りまし

た。少彦名神さまはササゲの豆の鞘に乗って海を渡

って来られたことからササキ神社と言われるように

なったそうです。この海は淡海即ち琵琶湖を指しま

す。ササゲの舟では玄海灘、日本海を渡ることは出

来ないとの家内のひと言でした。なるほど…

蒲生と加茂の関係を知り得る人は未だ少ないと思い

ます。가모です。馬見岡綿向神社の神様は綿向山

頂上に祀られています。では、綿向きとは何でしょ

うか?ワダツミとは海神と書きますが綿(ワタ)と

海(ワダ)の違いは濁音です。意味は同じです。

綿向山とはワタ即ち、海(近江の湖)を向く山が語

源だと言えそうです。もちろん綿花や養蚕による織

物とも考えられますが、日本の綿花の歴史は8世紀

末だとのことです。綿花はまだ新しいですね。



2025年12月31日水曜日

652. 古代史ミステリ- THE TSUNOUJI

韓国人が苦手な日本語の発音に「ざ」と「つ」があ

ります。ありがとうごじゃいます、寺じゃわさん、

西じゃわさん、宮じゃわさん、と「ざ」が「じゃ」

になったり、津波が「すなみ」大津が「大ちゅ」に

なったりします。もっとも、日本人が苦手な韓国語

の発音は数え上げればきりがありませんけど…

さて、インドネシアのチアチア族の言葉もハングル

で標記するというニュースがありました。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009081243978

それでも韓国語で標記出来ない発音の代表が、上の

「ざ」と「つ」の二つではないでしょうか。

古代に朝鮮半島から発音を持ち出した渡来人が正に

THE TSUNOUJIです。角氏とか津之氏と

呼ばれ、鹿や牛や龍を神様の使いとし、言葉の真ん

中に「津」の文字を入れる等の言葉遊びもします。

「つ」の元となる漢字は、川なのか州なのか津なの

か未だはっきりしないそうです。正にミステリー。

格助詞として、さざなみの国つ御神のうらさびて…

海神(わたつみ)とか時津風とか葛城(加つ羅来)

と言って「つ」を挿入したり、ツ部として部首にも

入っており、促音として小さい「っ」も存在し、津

々浦々と踊り字にもなったりと、まさに、日本語を

学ぶ上で欠かせない文字となっております。

意富加羅国(大伽耶)から敦賀に来た都怒我阿羅斯

等(つぬがのあらしと)は、日本書紀では別名を、

「うしきありしちかんき」といったそうです。

洛東江の河津、金海金氏の金冠加羅国が、高句麗広

開土王の新羅救援5万人の派兵により、上流の高霊

に逃れて大伽耶、西方の咸安にのがれて阿羅伽耶、

金海には金官伽耶、固城に小伽耶、星州に星山伽耶

等々と分かれていった模様です。歴史においては、

三国時代といい、伽耶は小部族の集まりとされてい

ますが、これは後の歴史の歪曲であると思います。

伊吹山は意富(加羅)来山だったのでしょうか。

慶尚北道高霊郡の池山洞古墳群の出土品はユネスコ

世界遺産に登録されて世界の注目を集めています。

新年の高市総理とイジェミョン大統領の奈良での会

談が、日韓関係の進展に寄与するものとなることを

願います。

福井県敦賀市の気比神宮由緒書き




2025年12月23日火曜日

651. 朝鮮半島の三国時代とは?

古代史について考えるとき、隋、唐と並んでお隣の

朝鮮半島の三国からの渡来人という表現で高句麗、

百済、新羅の三国の名前がよく挙げられます。

ところが根拠となる「三国遺事」が李氏朝鮮の時代

の書物であることから見直しがなされています。

伽耶が金首露王によって紀元前1世紀に出来て以来

大伽耶が562年に滅亡するまで約600年間は、

四国時代であった。以後百済が660年に滅亡し、

668年に高句麗も滅んで約100年で三国時代は

終了します。統一新羅、渤海、高麗を経て李氏朝鮮

と日本統治、戦後に至るまでの1280年を経て、

1948年以降は、現在に至るまで南北二国家時代

となっています。

伽耶から敦賀への経路が見て取れます

そのような歴史の変遷の中、西暦400年に伽耶と

倭国による対新羅攻撃に対して、高句麗の広開土王

が5万人の派兵をして、伽耶の洛東江下流は大打撃

を受け、上流の高霊に加羅国(大伽耶)が、西方の

咸安に阿羅国(阿羅加羅)ができました。

任那日本府は大和王権が伽耶に送った外交使節で、

阿羅国の王は、倭を背後勢力として百済、新羅に対

抗しました。

伽耶の古墳としては、3世紀末から6世紀中頃まで

ありますが、特筆すべきは、殉葬が行われていた。

王の古墳には従者が複数葬られており、3世紀末の

金官伽耶の大成洞古墳群や、6世紀高霊の池山洞古

墳群からは40人余りの殉葬の例があります。

日本では、垂仁天皇が皇后の葬儀に際し殉死に代わ

る方法を尋ねられたとき、野見宿禰が埴輪を提言し

以降、殉葬は無くなったとあります。(埴輪の起源)