2026年9月8日火曜日

687.祝백일。延べ144,000回の閲覧履歴達成!

このブログNO.646回、昨年の11月11日に

延べ7万人突破の記録があります。10ケ月足らず

の41回更新で18年間続けてきたブログが一気に

2倍の方々に閲覧されるようになりました。これも

AⅠの進化によるところが大きいのでしょうか?

賤ケ岳から臨む竹生島

その時のブログの内容がヨハネの黙示録第12章で

した。

https://han-guru.blogspot.com/2025/11/646-12.html

それならば、延べ14万4千人突破記念は、当然の

ことながらヨハネの黙示録第14章です。

なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの

山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と

共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書か

れていた。 またわたしは、大水のとどろきのよう

な、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞い

た。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴を

ひく音のようでもあった。彼らは、御座の前、四つ

の生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。

この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほか

は、だれも学ぶことができなかった。



 

2026年9月3日木曜日

686.訂正 No.657.名前の由来

https://han-guru.blogspot.com/2026/02/657.html 

「名前の由来」で大谷吉継の出身地が余呉町小谷

小さい谷と書いて「おおたに」と読むことから、私

は秀吉が今浜を長浜にしたように「おおたに」なら

大谷にしろと、一字拝領で小を大にしたのではない

かと考察しましたが、チャットGPTで尋ねると、

大谷吉継は元々大谷家で余呉町小谷(おおたに)に

着任したとのことでした。また、小谷城跡の周辺の

集落には今も大谷さんが沢山おられますが、長浜城

下には現在も大谷市場という地名が残っており、長

浜城下町形成の際、秀吉が小谷城下の商人を長浜に

移住させたことに由来するそうです。

をたに、おたに、おおたに、おだに…名前の由来、

地名の由来についてもAIの技術が様々な検証を加

えてくれます。



2026年8月27日木曜日

685.日韓共通の懸案事項まとめ

荒神山から琵琶湖のタケ島と竹生島


1.歴史認識・・古代史については伽耶の研究展開

2.領土問題・・竹島(韓国名:独島)→最後の砦

3.戦時期の問題(徴用・慰安婦等)

4.安全保障

5.経済・貿易

6.少子高齢化・人口減少

7.エネルギー・環境

8.文化・人的交流

9.統一教会・宗教と政治の関係
 (こちらは日韓共通の懸案事項というより、日韓両
首脳の懸案事項と言った方がいいでしょうか?)

若狭湾からの青葉山




2026年8月20日木曜日

684. 真人息長氏のルーツをたどる

684年に天武天皇により制定された八姓の姓で、

真人の位を戴くことになった神功皇后の父方である

息長宿禰王のルーツであり、息長氏を祀る滋賀県米

原市顔戸の日撫神社、日撫山に登ってきました。

天神岩からの長浜ドームと竹生島

日撫神社御由緒


日撫山 250m




2026年8月12日水曜日

683. 残暑お見舞い申し上げます。

台風15号の影響でしょうか。久しぶりに午後から

雨が降りました。今日は水やりをお休みできます。

3歳の孫がお盆休みで帰って来ました。お寺の前を

通り掛り、ひらがなを一つ一つ読んでくれました。

おかげでじっくりと読み返すことができました。

感謝です。

ちびっこ広場にて





2026年8月4日火曜日

682. 熊本地震2026.7.28

熊本地震から1週間になります。未だに余震の続く

中、酷暑を耐え忍ばれる被災地の方々にお見舞い申

し上げます。どうか無理はなされませんように…。

このような自然の脅威の前では人間の無力さを痛感

させられます。日本は四季の変化とともに、災害の

多い国ですが、とりわけ地震に於いては予測が困難

で、その対処の方法も様々です。今回はLPガスの

爆発が起こって惨事がより大きくなってしまいまし

た。改めて2次災害、3次災害に備える必要を思い

知らされました。今だに続く目に見えない余震と暑

さの中ですが、水分補給をされて、少しでもよい環

境を求めてアンテナを張られることを願います。

荒神山にて




2026年7月23日木曜日

681. 再考6.25

ユギオ戦争と言われる朝鮮戦争は、韓国戦争、韓国

動乱、朝鮮動乱、6.25事変とも呼ばれており、

北朝鮮では祖国解放戦争というそうです。英語では

The Korean Warと表記されます。

わが家の芙蓉

宣戦布告のない一方的な南侵に端を発したこの戦い

には、国連の安保理決議に基づき、16ヵ国の戦闘

部隊と、6ヵ国の医療部隊の計22ヵ国による部隊

構成で現地に派遣された。これはまさしく【事変

と云うにふさわしい出来事であったと思います。

拒否権を持つ常任理事国があるにも関わらず、安保

理決議がなされたことも不思議ですが、アメリカの

マッカーサーが、自身を支える司令官たちの反対を

押し切ってまで仁川への上陸を決断したことも不思

議な出来事です。(倍率5000倍のギャンブル)

現在もロシア・ウクライナ戦争、アメリカとイラン

の戦争が続く中、1950年当時、国連軍が出動を

決断したことは、とてつもなく大きな決定であった

と言えます。