2009年6月26日金曜日

28.6.25の意味

1950年6月25日は、朝鮮戦争勃発の日です。
1945年8月15日。日本では、終戦を迎えましたが、朝鮮半島では、この日は日本の植民地支配からの開放の日でありました。 ソ連の参戦後に終戦を迎えた日本が、アメリカのマッカーサー元帥のもと、憲法制定等、戦後の日本を造り替えていく中、朝鮮半島は、理念対立の犠牲となり、38度線を軍事境界線として、分断統治されるようになりました。 同じ言葉を使う一つの民族が、北の共産主義と南の自由主義とに別れることにより、東西冷戦といわれた戦後体制が始まって、以来現在に至るまで南北分断の悲劇は続いています。
 そんな中で、1950年6月25日北の共産軍が南侵することによって、戦争が始まりました。その勢力は一旦、釜山を除く半島全土までを押さえる勢いでしたが、アメリカのマッカーサー率いる国連軍の仁川上陸を契機に形勢は逆転し、朝鮮半島全土が国連軍によって収束されるところまでいきました。 が、しかし今度は、中国共産軍の参戦により、また、もとの38度線に戻されてしまいました。
1953年に休戦協定がなされ現在に至っています。
南北統一の実現は、民族の所願であるにもかかわらず、これほどまでに難しい問題として、複雑に混迷しています。

2009年6月17日水曜日

27.6月6日のソウルが大混雑だった訳


권 상우ファンのメンバーが韓国に行って大渋滞に巻き込まれた6月6日。 この日は、顕忠日(현충일という韓国の公休日で、国の為に犠牲となった死者の霊に対し、国立墓地にて、大統領をはじめ国家の要人たちが黙祷をささげる제사が行われた日でした。この歴史は高麗の時代にさかのぼります。
 国の為の犠牲といえば、私たちには、戦争の犠牲者というイメージが強いですが、韓国に於けるそれは、もちろん戦争の犠牲者も含まれますが、むしろ、国家の独立のため、外敵から国を守るためというイメージが強いのではないでしょうか。 この  という言葉にも儒教の精神が・・・。わが国でなくなりかけている言葉が、今もこの国には根づいているようです。

2009年6月6日土曜日

26.新型インフルエンザ

6月に入って、もうこのあいだの緊張感は何だったのか、というくらい新型インフルエンザのことは、人々の記憶から消え去っているように思えますがいかがでしょうか?
その影響は、関空から韓国に旅立つ旅行者たちにとっては、この6月格安チケットの購入チャンスとして現実味を帯びているのではないでしょうか?
アジア圏で最初に感染者が出た韓国は、その後のニュースでは、アメリカに次いで早く遺伝子レベルの解明に成功したといい、わが国においては、高校生を中心に集団感染が進み、我が滋賀県でも県立高等学校が1週間休校、中学校では、春の中体連が中止、マスクが足りないなどと、一騒動起きそうな雰囲気でした。今後、今回の一連の経緯については様々な検証がなされると思いますが、韓国の食生活、とりわけキムチに代表されるその免疫効果についても、私たちは認識しておきたいものです。