2010年7月19日月曜日

67.天日槍(アメノヒボコ)の話-その1-

平安時代のはじめ815年に編纂された「新撰姓氏録」という書物に、当時の山城・大和・摂津・河内・和泉の五ヵ国に居住し、中央政府の要職を占めていた1182氏の家柄リストが書かれており、そのうち326氏が自ら渡来氏族であるとしています。
応神天皇の時代・・・阿知使主 「党類17県」・・・倭漢直氏 
     同       弓月君  「人夫120県」・・・秦造氏
     同       王仁の子孫・・・西文首氏

アメノヒボコ韓国(からくに)より渡り来し理由 (古事記より)

又、昔、新羅ノ国王之子有リき。名は天之日矛ト謂ひき。是ノ人参渡(まいわた)り来たり。参渡り来たりし所以は、新羅国に一つノ沼有り。名は阿具奴摩ト謂う。此の沼之辺に、一ノ賤しき女昼寝したり。・・・・・・


(ハンちゃんの注釈)一つの沼有り  ヌマとは、老マーニム。すなわち、1人の年老いた高貴な夫人がいたの意。 있다 …存在詞、有る、居るの両方に使用する。当時の翻訳ミスだと思います。
 
新羅の王子、天日矛は阿具という老夫人の下女に恋をしたが、その女が言うには、「そもそも吾は汝の妻となるべき女に非ず、吾が祖(おや)之国に行かん。」と言って、舟に乗り逃げ渡って難波に着いた。そのことを聞いたので、天日矛は、追いかけて渡って来た。

2010年7月9日金曜日

66.ホバク

5月に種をまいたホバクが、そろそろ収穫の季節を迎えようとしています。
皆さんの菜園ではいかがでしょうか?

予定しておりましたホバクを使った韓国料理教室は、会場と日程の都合により中止、7月29日第5木曜日恒例の韓国料理店での会食で、ホバクを使った料理を何種類かお願いすることにしました。
それを手本に是非ご自宅でもチャレンジしてみてください。



2010年7月3日土曜日

65.죽음(死)에 대해서

어제 박용하가 죽은 같은 날,비슷한 시간에 돌아가신 아는 사람의 장례식으로 갔다 왔습니다.
거기서 상주(喪主)가 하는 말・・・

"어떤 인디언의 이야기"

人間은 自身이 태어날 때 周辺의 사람들이 웃는데 自身은 울면서 태어난다.
그러나 자신이 죽을 때는 자신은 웃는데 주변의 사람들은 울면서 보낸다.

“あるインディアンの話”

人は生まれる時、周りの人たちは笑顔で迎えるが、自らは泣きながら生まれてくる。
けれども・・・死ぬ時は、自分は笑うのに、周りの人たちは泣きながら送る。

死に対する深いい話ではないでしょうか?

2010年7月2日金曜日

64.6.30日本が負けた日

ワールドカップサッカーで日本が負けた日。6月29日火曜日、日本時間では、30日。
延長戦も0対0で終了し、PK合戦で惜しくもベスト8進出はならず、眠い目をこすりながら仕事に出られた方も多かったと思います。そんな時、박용하(パクヨンハ)の訃報が飛び込んできました。
途上国の子供たちの援助に目を向けるなど、積極的に奉仕する精神も持ち合わせた生真面目な32歳のチョンガクが、末期ガンの父をおいて先立たなければならなかったその理由は、何だったんでしょうか?
公人としてのタレントの仕事。儒教精神が根付く韓国で、家族を大切にする韓国人の長男としての責任。事務所のマネージャーの背信。・・・これらは、遠因であっても直接の原因理由にはならないように思うのですがいかがでしょうか?

幸い7月4日のびわこホールでのコンサートの予約をしていた受講生はいなかったみたいですが、週末毎にコンサートのため日本に来るスケジュールがぎっしりと詰まっていた 박용하 にしてみると、到底こなし切れない大きな壁と映ったのでしょうか。
あるいは・・・。 何が彼を自ら命を絶つしかないと結論付けさせ、いとも簡単に事をなさしめたのでしょうか?
日本に於ける小中高校生の自殺は、年間300名前後という統計が出てきました。
このことは、日韓に共通の課題なのでしょう。