2009年8月24日月曜日

32.インドネシアのチアチア族

韓国語の受講生の方から教えていただきました。 話す言葉はあっても、文字のない地域で、ハングル文字を採択することになったと。
 さっそく調べてみました。 インドネシアのチアチア族。 スラウェシ州 プトン島のバウバウ市。
土着語のチアチア語の表記にハングルを公式採用したとのことでした。 http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2009081243978

コンピューターによる情報化の時代。 中国や日本は、その文字の複雑さのために苦戦していると聞いたことがあります。 ハングルのキーボードは以前にも書きましたが、左半分が子音、右半分が母音の構造になっており左右交互に打っていくのでかなり合理的にできています。 また、表音文字は、幼い子供でも一通りの文字を覚えてしまえば表記が可能で、その分低年齢からのパソコン習得にも有利だと思います。 さらに、ハングルの子音母音は、のど、舌と歯、口の形等を表しているので、人間工学にもマッチしていると思います。

31.光復節 と 金大中前大統領

 日本に於けるお盆の8月15日は終戦記念日ですが、韓国、北朝鮮の人々にとってこの日は、独立解放記念日で 光復節 といいます。 第64回光復節の滋賀県での記念式典は、大津プリンスホテルで民団主催で行われ、今年は衆議院議員選挙もあって衆参8名の前国会議員、国会議員が列席、祝辞を述べられました。
 8月18日には、韓国から金大中前大統領の訃報が届きました。韓国に於ける真の民主主義政権ともいわれ、北に対する太陽政策で、ノーベル平和賞を受賞されたこの人物の死を悼む声が世界中に響いています。 
 実は、この金大中前大統領は、現在の韓流ブームの火付け役でもあったと思います。日韓双方の文化交流の起点がこの大統領の時代に始まりました。そして、日韓ワールドカップサッカー共同開催。
 政治の力が国と世界の方向性を決定するいい例だと思います。
南北統一の実現をこの目で見ることなく逝かれたのは、さぞかし無念だったことでしょう。
  

2009年8月10日月曜日

30.韓国研修ツアー報告


8月1日~3日まで、夏休みの土日をはさんだ豪華な韓国研修ツアーに行ってきました。
名古屋は雨の出発でしたが、ソウルは晴れ。二日目も日本は雨でしたが韓国は晴れ。天候にも恵まれた3日間でした。
写真は2日目、オプションの第3トンネル見学に先立ちトラサン駅。
手前56kmソウル、向こう側205kmピョンヤンとあります。
 非武装地帯を越えると開城(ケソン)工業団地です。道路も鉄道もつながっており、南北の合意ができれば自由に往来できます。駅構内にはユーラシア横断鉄道路線図なるものがあり、ヨーロッパのスペインやイギリスまでつながっているよと言わんばかりでした。
 その後、目的地の第3トンネル。洞窟独特のひんやりとした空気で冷をとりましたが、さむいのはソウルから僅か52キロのところに、地下73mの深さで、幅2.1m、高さ1.95m、長さ1635mの南侵用トンネルが掘られていた事実。 非武装地帯の南方限界線まで435mのところまで掘られていたんです。これは、北朝鮮の武装兵士1万人が1時間以内に移動できる規模だそうです。


 日曜日の午後のひと時、ソウルの中心を流れる清渓川。 

李明博大統領がソウル市長の時に、復元計画が持ち上がり今では市民の憩いの空間となっていました。





 清渓広場を越えるとソウルのメインストリート、李舜臣将軍が迎えてくれます。そう、長浜の名付け親、豊臣秀吉の朝鮮出兵を迎え撃った名将です。