2012年11月27日火曜日

203.紅葉のスポット

11月23,24,25日の3連休を如何お過ごしでしたか?

23日は午前中、お天気があまりよくありませんでしたが、

24,25日は最高の秋晴れでしたね。

紅葉のピークと重なり何処も人出がすごかったようです。

湖北では 鶏足寺、湖東では 湖東三山の北から西明寺、金剛輪寺、百済寺。

さらには、永源寺。 湖南市の善水寺。大津の石山寺、三井寺、比叡山延暦寺。

私の穴場スポットは、東近江市の東光寺と多賀町の大瀧神社です。


大滝神社
多賀駅より胡宮神社を過ぎて約4Km、犬上川の清流に面して大滝神社が鎮座しています。ここは俗称「滝の宮」として知られるとおり、犬上川がここで約10mの落差をもって流れ落ち、滝の周囲は奇岩、怪石に目を奪われるほどの景勝の地となっています。

神社の創立は明らかでないが、古来、多賀大社の末社、あるいは奥宮として考えられている。祭神は高おお神・闇おお神の二神で、「湿雨を司り水脈を主宰し、農作物の生茂繁植の道を補助し給う神」といわれます。(おお=雨の下に龍と書く)

犬胴松の由緒

その昔、犬上・式部二族と云われます稲依別王命は、日頃より猟を好まれ猟犬小石丸を引き連れ山間を徘徊されていた処、偶々この渓谷の淵に往来の人々に危害を加える大蛇がいる事を聞き及び、退治せんものと愛犬を伴い渓谷を探し続けた。

七日七夜を過ぎ、仮眠中の危急を知った小石丸が吠えたてる事頻りなれば、命は怒り、腰の剣で一刀のもとに愛犬の首をはねると、首は岩影より命に襲い掛からんとする大蛇の喉にしっかり咬みつき、大蛇は遂に淵に落ち悶死せり。命は大いに驚き、この愛犬忠死に深く感銘し祠を建て之を祀り給う。 これ犬咬明神である。

斯くして命を救った忠犬の霊を犬胴塚に葬り、其処に松を植えられたのが犬胴松である。 今は枯れ果てその面影を残すのみであったが、お堂を建立してその霊をお祀りするものである。   社頭掲示板


大瀧神社
  御祭神 高おお神(たかおおかみ) 闇おお神(くらおおかみ) 分水神(みずをわけるかみ)

  例祭日 5月5日

  御本殿 一間社流造 檜皮葺

御祭神は京都鞍馬の貴船神社にも祀られる水神で、旧大滝村の総鎮守として、また、犬上川流域の水利を司る神として広く崇敬されている

。創祀年代は確定できないが、「淡海落穂草」に「大同2年坂上田村磨将軍の御領にて建立」とある。

現在の本殿は、 標木及び高欄擬宝珠に寛永15年(1638)の銘があり、多賀大社・胡宮神社と共に徳川家の造営によるものであり、象頭形の木鼻、花鳥を刻した蟇股欄間等に江戸初期の様式手法をよく伝えている。

平成12年9月

多賀町教育委員会               社頭掲示板








2012年11月12日月曜日

202.京都の風水 水の神 貴船神社


反正天皇の時代(5世紀初頭)に、玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って

浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、

そこに祠を営んで水神を祀った・・・



タマヨリヒメノミコトは、オオワタツミノカミの娘、トヨタマノヒメノミコトの妹だそうで、

上賀茂神社と下鴨神社の祭神としてまつられています。

大阪湾から淀川をさかのぼった一行は、京都で桂川と加茂川の二手に

分かれますが桂川を上った秦氏(太秦の由来)と、

水のきれいな加茂川を選んだ賀茂氏一族に大きく分けられました。

その行き着いた先が貴船神社ということなのでしょうか?

後に、桓武天皇が平安京に遷都する時には、灌漑工事やその他、風水地理的にも

それなりの土台が既に出来ていた模様です。





2012年11月5日月曜日

201.ぬるべの里のススキ


44.ススキ

日本の伝統工芸「漆塗り」発祥の地。

曽爾の郷に漆部造(ぬるべのみやつこ)が置かれた。

奈良県の東北端、三重県境に接する曽爾高原は、日本でも有数のススキの名所です。

風になびくススキはこころを穏やかにしてくれますが、

尾根まで上るとその風は強風となって体全体を覆い尽くし

耳の後ろ辺りに痛みに近い冷たさの刺激が与えられました。