2020年10月15日木曜日

422. 秦氏の源流を探る

 今は無き地名・・・滋賀県愛知郡秦荘町

平成の大合併で愛知郡秦荘町は愛知郡愛知川町と

合併して愛知郡愛荘町となりました。

愛知秦氏の名前を消し去っただけの町名変更に

部外者としてただ傍観するだけでした。

応神天皇14年(403年)に弓月君が120県の民を

率いて渡来・・・何処に?

1.帰化後、大和に居住し大蔵長官になった。

雄略天皇15年(471年)秦酒君が180種の勝(種族)と

絹織物を献上宗家は本貫地を山背国葛野に移し

「禹豆麻佐」の称号を賜った。

2.太秦

推古天皇の時代(603年)秦河勝が蜂岡寺(広隆寺)建立

聖徳太子のブレーンとなり

賀茂川、桂川の水田開発、養蚕事業

672年の壬申の乱の功で忌寸の称号を与えられる。

752年 大仏開眼

794年 平安遷都に貢献

3.大和に行かなかった秦氏たち

・美濃の国秦氏

497名秦人、秦人部、勝、不破勝、各牟勝、

半布里-埴生郡-羽生、土岐、瀬戸和紙、織物等

・豊前、豊後秦氏

推古16年(608年)遣唐使(小野妹子)煬帝、裵世清

対馬、壱岐を東へ辰(秦)王国に至る、鹿春岳の銅

・5世紀辛島氏(秦族)

銅生産、辛島息長大姫大日命、辛島息長大日神社

・継体天皇22年(528年)磐井の乱

大和朝廷の九州支配、宇佐氏、宇佐八幡宮、ヤハタ

・KARA国、辛国、韓国、唐国?





2020年10月11日日曜日

421. 聖武天皇の時代

 先日「聖武天皇の足跡を訪ねて」と題する健康ウオー

キングに参加してきました。東大寺の大仏が出来る以前

にこの地に大仏の製造計画があったとの説明をお聞きし

平城京から恭仁京、そして紫香楽宮へと遷都して行った

いきさつに思いを馳せながらその現地を歩いてみて歴史

の一端を垣間見たような気がしました。


信楽焼が世に出るよりももっと昔の時代、西暦742年の出

来事で計画は道半ばで平城京に復帰しました。

この時代まではまだまだ近江の豪族の国家に対する影響が

強かったようで、聖徳太子建立と言われるの寺院の数は

大和に次いで多いのですが、その場所も特定できないとこ

ろもあるようです。