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洞窟の中の如意輪観音 |
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精巧な弁才天 |
ドラマだけじゃない。韓国の魅力。 それは日本のルーツがここにあるから。
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洞窟の中の如意輪観音 |
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精巧な弁才天 |
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荒島岳1523.5m |
自由民主党の新総裁に高市早苗氏が就任しました。
どこかのユーチューブチャンネルで「党内で政権交
代が出来る自民党はすごい」とオールドメディアの
小泉圧勝の予想を覆した高市早苗氏の勝利を、驚き
で報じていました。様々な要因が今後検証されるで
しょう。
律令体制が整っていく時代に、兄の天智天皇から、
弟の天武天皇に受け継がれ、持統天皇を経て、文武
天皇時代の701年に大宝律令が制定される過程に
於いて、高市皇子の存在は大きかったと思います。
天智天皇の死後、壬申の乱に於いて勝利した大海人
皇子(天武天皇)も、犬上川の戦いに於いて一時は
大友軍に囚われた。がしかし、安食の5人衆によっ
て解放され逆転勝利した、と地元では伝えられてい
ます。その後、大友皇子は大津において自害し、戦
乱は終息します。白村江の戦いの敗戦で唐、新羅の
攻撃を怖れ、大津に都をおいた天智天皇から、弟の
天武天皇に時代が移る中で、天武天皇は飛鳥に都を
戻します。高松塚古墳、キトラ古墳などがある高市
郡明日香村がその場所です。
高市皇子は大海人皇子と妻尼子姫との最初の子で、
壬申の乱の勃発で大津京から母の実家である犬上郡
甲良町尼子に戻り、不破関の戦いで大海人皇子と合
流した模様です。その後、持統天皇の時代に太政大
臣として律令体制を確立していきました。犬上氏は
壬申の乱の後に、朝臣の称号を受けています。
さて、マスコミの大方の予想に反して勝利した高市
早苗氏が、今後総理に就任すれば、壬申の乱を征し
た天武天皇の時代のように安定政権を維持するよう
に見えます。
これも歴史の同時性というのでしょうか。
安倍首相、朴槿恵~文在寅、トランプ大統領の時代
高市首相、李在明大統領、トランプ大統領・・・
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飛鳥寺にて |
大和朝廷において大きな影響力を持ち仏教を奨励し
た蘇我氏とは、いったいどのような氏族だったので
しょうか。渡来系氏族だとするならば、朝鮮半島の
古代史について知らなければ渡来人については語れ
ません。ソラボル(서라벌、蘇羅伐)蘇伐という新
羅の古い国号から蘇我氏の名が生まれたようです。
蘇我馬子に通づる系図を逆に遡ると、蘇我稲目、蘇
我高麗、蘇我韓子、蘇我満智、蘇我石河宿禰と竹内
宿禰からつながっているようです。蘇伐が蘇我へと
転じたと見るのが妥当ではないでしょうか。行基図
とよばれる古代の日本地図があります。その精巧さ
は江戸時代の地図と比べても、95パーセントの精
度で作成されていたそうです。これは、新羅が東洋
最古の天文台である瞻星台(첨성대)を作り、天文
と航海の知識をもっていた事と関連し、その渡来人
が実際の航海をなすため地図を作成して来たという
ことは想像に難くありません。滋賀県長浜市の紅葉
の名所として有名な鶏足寺の近くに己高閣がありま
す。由来によると「己高山鶏足寺は神亀元年(72
4年)僧行基によって十一面観音菩薩を本尊として
創建され、名を東光山常楽寺とした」とあります。
近くには古橋製鉄遺跡があり、6世紀末から7世紀
前半に使れていたと考えられているそうです。伽耶
と百済、新羅、高句麗からの渡来人は大和朝廷によ
る律令体制の確立に様々な力関係で影響を及ぼし合
っていたようです。
石破総理が自民党総裁の退任を表明されました。
党内からの総裁選前倒しの気運と世論調査における
石破総理続投支持の過半数維持が総理自身の判断を
遅らせる原因にもなったようです。葛と藤、どちら
もつる植物で他の樹木や物体を支えに高い所を目指
します。葛は左から右へ、藤は右から左へ巻くそう
です。相反する感情や欲求、意見などが同時に存在
し、どちらを選ぶべきか苦悩し迷う状況。まさに葛
と藤が絡み合って解けない様子が葛藤です。
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荒神山の葛の花 |
ちなみに藤の花は下に垂れて咲きますが、葛の花は
桐の花のように上向きに咲きます。
さて、葛城氏と藤原氏。これらの名前は古代史にお
いて天皇に大きく影響を与えた豪族です。こちらに
葛と藤が入っていて、葛城氏は衰え、藤原氏の全盛
時代が続いていきます。
ここからは、ハンちゃんの見解です。
葛城氏については渡来系豪族で大和葛城氏が有名で
すが、伽耶(加羅)から日本海を通って敦賀に上陸
し、韓来(からき)道(塩津街道)を経て琵琶湖を
渡り、その周辺に定着した高度な様々な文化を有す
る加津羅来の部族が朝廷に召されて大和葛城氏とな
ったのではないでしょうか。大伽耶の中心高霊から
きた渡来人の入植地が甲良町で、歴史ある下之郷は
昔、下江と書いて江州を意味し、そこに鎮座するの
が今の桂城神社であります。少彦名命、国常立尊、
仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王と共に六柱の一角に
祀られる左大辨成頼の名も「下之郷の歴史」に記録
されています。