2025年10月21日火曜日

641. 観音の里ふるさとまつり

滋賀県長浜市の旧高月町を中心に例年行われている
お祭りに久しぶりに行ってきました。普段は御開帳
されない秘仏にも触れることが出来る機会で、天候
にも恵まれて素晴らしい収穫の一日でした。以前に
キャノンは観音が発想の語源で長浜にも工場がある
と聞いたことがあります。千手観音のあらゆるもの
を網羅する可能性が見え隠れします。
ガイドさんの説明で気になったコロリ観音は賤ケ岳
から見下ろせる湧出山の麓、高月町唐川の唐喜山赤
後寺に二軀おられました。本来は韓来山なのでしょ
うね。こちらは写真撮影禁止で、パンフレットにも
お姿がありませんでした。


洞窟の中の如意輪観音

次に、パンフレットのお写真で気になった小谷寺に
向かいました。様々な観音様の中で、お一方弥勒の
お姿だったからです。浅井三姉妹の祈願寺としても
有名ですが、如意輪観音像のその大きさにも驚かさ
れました。金銅半跏思惟像の他にも弁才天の像もあ
りご住職の説明に大変感銘しました。現在、本堂再
建クラウドファンディングをされています。
精巧な弁才天
小谷寺は聖武天皇の時代に、白山の開祖泰澄上人が
白山から伊吹山までの峰々に修験道場を開いたその
坊舎の一つだそうです。そういえば荒島岳にもこの
お方の名前があったように思います。



2025年10月16日木曜日

640. 福井県にある日本百名山荒島岳

先日のスポーツの日、福井県にある日本百名山荒島
岳に登ってきました。山なのに島とはこれ如何に?
陸続きなのに半島というが如し。ということで、地
元では大野富士と呼ばれているお山で、私の山アプ
リの記録によると、日本百名山の10座目の登頂と
なりました。百名山制覇などは考えてもおりません
けど…
荒島岳1523.5m

さて、荒島岳のルーツに迫ります。古代においては
阿羅志摩多気とか嵐間ヶ嵩と記録にあります。嵐麻
呂、阿羅之麻呂、荒山連公、荒山大権現、物部大連
の霊を祀ると荒島神社にあります。
このお山は荒島おろしと言われる南東の強風が4月
に吹き荒れ大火をもたらし、6、7月には稲に着く
虫を運び作物を害すると怖れられ、人を寄せ付けな
い山、近寄り難い山だったそうです。名前における
島は深い意味がないが、荒には阿羅即ち阿羅伽耶か
らの渡来人とその子孫物部氏の足跡があったようで
す。敦賀の気比神宮の角鹿神社は都怒我阿羅斯等命
が祀られ、神功皇后も瀬戸内海から九州に赴き、日
本海を渡り敦賀に辿り着いています。
今回、勝原登山口の駐車場から午前7時過ぎに出発
しようとしましたが、そこにはNHKのカメラが待
ち受け、登山の準備や熊対策等について尋ねてこら
れました。山道は急登に次ぐ急登で、北アルプスの
三大急登と言われる燕岳の合戦小屋までの道よりも
はるかに険しい道のりでした。

2025年10月5日日曜日

639. 高市早苗総裁の誕生

自由民主党の新総裁に高市早苗氏が就任しました。

どこかのユーチューブチャンネルで「党内で政権交

代が出来る自民党はすごい」とオールドメディアの

小泉圧勝の予想を覆した高市早苗氏の勝利を、驚き

で報じていました。様々な要因が今後検証されるで

しょう。

律令体制が整っていく時代に、兄の天智天皇から、

弟の天武天皇に受け継がれ、持統天皇を経て、文武

天皇時代の701年に大宝律令が制定される過程に

於いて、高市皇子の存在は大きかったと思います。

天智天皇の死後、壬申の乱に於いて勝利した大海人

皇子(天武天皇)も、犬上川の戦いに於いて一時は

大友軍に囚われた。がしかし、安食の5人衆によっ

て解放され逆転勝利した、と地元では伝えられてい

ます。その後、大友皇子は大津において自害し、戦

乱は終息します。白村江の戦いの敗戦で唐、新羅の

攻撃を怖れ、大津に都をおいた天智天皇から、弟の

天武天皇に時代が移る中で、天武天皇は飛鳥に都を

戻します。高松塚古墳、キトラ古墳などがある高市

郡明日香村がその場所です。

高市皇子は大海人皇子と妻尼子姫との最初の子で、

壬申の乱の勃発で大津京から母の実家である犬上郡

甲良町尼子に戻り、不破関の戦いで大海人皇子と合

流した模様です。その後、持統天皇の時代に太政大

臣として律令体制を確立していきました。犬上氏は

壬申の乱の後に、朝臣の称号を受けています。

さて、マスコミの大方の予想に反して勝利した高市

早苗氏が、今後総理に就任すれば、壬申の乱を征し

た天武天皇の時代のように安定政権を維持するよう

に見えます。

これも歴史の同時性というのでしょうか。

安倍首相、朴槿恵~文在寅、トランプ大統領の時代

高市首相、李在明大統領、トランプ大統領・・・

飛鳥寺にて




2025年9月30日火曜日

638. 渡来人のルーツ本貫地を辿る

ウイキペディアによると朝鮮半島における本貫は、
発祥を同じくする同一父系氏族集団の発祥地、ある
いは宗族そのものをあらわす概念だそうです。
そのルーツを辿っていくと伽耶地域を本貫とする姓
氏をたくさん見つけました。
最も有名なのは、金官伽耶の金海金氏、金海許氏。
更には大伽耶の首都、高霊の高霊申氏、高霊朴氏。
続いて星山伽耶の星州李氏。阿羅伽耶の咸安趙氏。
そして、昌寧曺氏。草渓卞氏、小伽耶の固城李氏。
大伽耶の更に北には、古寧伽耶の咸昌金氏等々。
洛東江の周辺に伽耶の諸部族が暮らしていたようで
す。
新羅と百済の狭間に位置し、製鉄の技術に長けたこ
れらの人々は、倭国との交流を繰り返し、任那伽耶
と言われるくらい倭国に同化して半島南東部に前方
後円墳を造る程までに勢力を広げていたようです。

伽耶山は標高1430m、麓の陜川郡伽耶面には、
有名な海印寺があります。やはりこの地域が伽耶の
中心だったと言えそうです。



2025年9月20日土曜日

637. 蘇我氏の正体は…

大和朝廷において大きな影響力を持ち仏教を奨励し

た蘇我氏とは、いったいどのような氏族だったので

しょうか。渡来系氏族だとするならば、朝鮮半島の

古代史について知らなければ渡来人については語れ

ません。ソラボル(서라벌、蘇羅伐)蘇伐という新

羅の古い国号から蘇我氏の名が生まれたようです。

蘇我馬子に通づる系図を逆に遡ると、蘇我稲目、蘇

我高麗、蘇我韓子、蘇我満智、蘇我石河宿禰と竹内

宿禰からつながっているようです。蘇伐が蘇我へと

転じたと見るのが妥当ではないでしょうか。行基図

とよばれる古代の日本地図があります。その精巧さ

は江戸時代の地図と比べても、95パーセントの精

度で作成されていたそうです。これは、新羅が東洋

最古の天文台である瞻星台(첨성대)を作り、天文

と航海の知識をもっていた事と関連し、その渡来人

が実際の航海をなすため地図を作成して来たという

ことは想像に難くありません。滋賀県長浜市の紅葉

の名所として有名な鶏足寺の近くに己高閣がありま

す。由来によると「己高山鶏足寺は神亀元年(72

4年)僧行基によって十一面観音菩薩を本尊として

創建され、名を東光山常楽寺とした」とあります。

近くには古橋製鉄遺跡があり、6世紀末から7世紀

前半に使れていたと考えられているそうです。伽耶

と百済、新羅、高句麗からの渡来人は大和朝廷によ

る律令体制の確立に様々な力関係で影響を及ぼし合

っていたようです。



2025年9月8日月曜日

636. 葛藤の語源である葛と藤について

石破総理が自民党総裁の退任を表明されました。

党内からの総裁選前倒しの気運と世論調査における

石破総理続投支持の過半数維持が総理自身の判断を

遅らせる原因にもなったようです。葛と藤、どちら

もつる植物で他の樹木や物体を支えに高い所を目指

します。葛は左から右へ、藤は右から左へ巻くそう

です。相反する感情や欲求、意見などが同時に存在

し、どちらを選ぶべきか苦悩し迷う状況。まさに葛

と藤が絡み合って解けない様子が葛藤です。

荒神山の葛の花

ちなみに藤の花は下に垂れて咲きますが、葛の花は

桐の花のように上向きに咲きます。

さて、葛城氏と藤原氏。これらの名前は古代史にお

いて天皇に大きく影響を与えた豪族です。こちらに

葛と藤が入っていて、葛城氏は衰え、藤原氏の全盛

時代が続いていきます。

ここからは、ハンちゃんの見解です。

葛城氏については渡来系豪族で大和葛城氏が有名で

すが、伽耶(加羅)から日本海を通って敦賀に上陸

し、韓来(からき)道(塩津街道)を経て琵琶湖を

渡り、その周辺に定着した高度な様々な文化を有す

る加津羅来の部族が朝廷に召されて大和葛城氏とな

ったのではないでしょうか。大伽耶の中心高霊から

きた渡来人の入植地が甲良町で、歴史ある下之郷は

昔、下江と書いて江州を意味し、そこに鎮座するの

が今の桂城神社であります。少彦名命、国常立尊、

仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王と共に六柱の一角に

祀られる左大辨成頼の名も「下之郷の歴史」に記録

されています。


2025年8月29日金曜日

635. 日韓首脳会談と米韓首脳会談

韓国のイジェミョン大統領は最初の訪問国に異例の

日本を選択し、その足でアメリカのトランプ大統領

の元へ運びました。8月中の訪問で石破総理の後押

しをしながら、トランプ大統領に日韓関係の不安根

絶を見せて、日米韓3ヵ国の連携を示唆しました。


韓国国内では、歴史問題に触れず批判が出ることも

覚悟しながらの実利外交そのものでした。トランプ

の不安は拭い去れないものの、米朝会談の仲介役も

含めて先ず先ずの結果を残しました。

チングルマと立山連峰