私たちの先祖がどのようなルートで甲良町に住み着
くようになったのか?
考古学の先生方の研究成果を基に「甲良4500年
の歴史をたどる」もいよいよ佳境に入ってまいりま
した。
私の頭の中では、対馬海流に乗って隠岐の島を左に
日本海を東進し、若狭湾の最奥端、敦賀湾から気比
神宮、からき道の深坂古道、塩津街道を経て琵琶湖
の大浦や塩津浜に着き、竹生島、多景島、荒神山を
目印に宇曽川河口や犬上川河口まで船でやって来て
荒神口から東へ、或いは犬上川をさかのぼって鈴鹿
山脈のふもと甲良の地に辿り着いたものと思ってい
ます。水は高い所から低い所へと流れる、文化も然
りだと思います。
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に「古代史」を追加編集しましたので、そちらから
ご笑覧いただけると幸いです。
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