木曜夜の養蚕の館での韓国語教室のサークル名が決まりましたのでご報告します。
ポラリスの韻を踏んでイ・ビョンホン氏のファンも3人いるのでアイリスとしました。
ポラリスは長浜北星高校の隣の市民交流センターを拠点としていることにちなんで、もちろん冬ソナからとった名前です。
昼の星と夜の花 ・ ・ ・ 共に存在はするものの、顕現しないものという意味でもおもしろいかな。
17.アイリス
2011年5月22日日曜日
2011年5月16日月曜日
2011年5月15日日曜日
119.多度大社の上げ馬神事
5月4日、鈴鹿山脈を越えて三重県桑名市の多度大社まで行って来ました。
車で国道を走って約1時間半。
近くて遠い?関係はどこかと似ているような気がします。
近くて近い関係になる為の
その① お互いのことを知ること。
・ ・ ・ ということで興味のあるところから入っていく。祭り、歴史、花
息子と同世代の子供達が勇壮に馬で駆け上がる姿は、また別の意味で興味深かった。
例年ゴールデンウィークのニュースで取り上げられるだけあって大勢の人出となっていました。
さて、この多度大社 http://www.tadotaisya.or.jp/gyouji/index.html
天照大神の第3子である天津彦根命を主祭神とするとあり、祖父母が多賀大社、親が伊勢神宮で名前が彦根となれば、やはり無視できない関係にあるようです。
その後、なばなの里での 꽃구경。
チューリップもまだ見ごろ、ベコニアガーデンは圧巻でした。
途中で食べたうどん屋さんのメニューは、味噌煮込みうどんときしめん。これは滋賀では食べられない中部の味です。
車で国道を走って約1時間半。
近くて遠い?関係はどこかと似ているような気がします。
近くて近い関係になる為の
その① お互いのことを知ること。
・ ・ ・ ということで興味のあるところから入っていく。祭り、歴史、花
息子と同世代の子供達が勇壮に馬で駆け上がる姿は、また別の意味で興味深かった。
例年ゴールデンウィークのニュースで取り上げられるだけあって大勢の人出となっていました。
さて、この多度大社 http://www.tadotaisya.or.jp/gyouji/index.html
天照大神の第3子である天津彦根命を主祭神とするとあり、祖父母が多賀大社、親が伊勢神宮で名前が彦根となれば、やはり無視できない関係にあるようです。
その後、なばなの里での 꽃구경。
チューリップもまだ見ごろ、ベコニアガーデンは圧巻でした。
途中で食べたうどん屋さんのメニューは、味噌煮込みうどんときしめん。これは滋賀では食べられない中部の味です。
2011年5月8日日曜日
118.母の日に考える “恩”
もうすたれた言葉となったのでしょうか? 恩
恩といえば、子をもって初めて知る親の恩とか、恩師の先生。他にどんな言葉が思い出されるでしょうか? 命の恩人、自然の恩恵、報恩感謝の生活。恩を仇で返す。鶴の恩返し ・ ・ ・
あの有名なベネディクトの「菊と刀」の中で、日本人の恩という言葉に対するとらえ方について述べられた箇所があります。
日本人は、恩に着る、恩を受けるというように、肩の荷、返すべき借り、全力で果たすべき責任ととらえるため、恩とは、目上の人から受けるもので、単なる知り合いやほぼ同格の人から恩をほどこされると心が落ち着かないそうです。
そして、その言葉の表れが“ありがとう”や“すみません”だといいます。
即ち、こんなにも難しいことをしてもらってとか、済まないといいながら、感謝しますとか、申し訳ありませんということを伝えている。
では、韓国人はどのように考えるでしょうか?
恩といえば、恩恵の恩です。恵みに対する感謝の気持ち。心がよりどころとなってその情のごとく行動することでしょうか?
日本で生活する韓国人がなぜと思う光景のひとつに、
“何気なく頂き物をおすそ分けしたところ、「ありがとう」と言って貰って帰ったのに、翌日出会ったら、「昨日はいいものをいただいてありがとうございました」とお礼を言い、1週間後に出会ったら、また、「この前はありがとうございました」とひとつの小さなことに、こちらは、喜んで貰ってくれたと思ってもう忘れていることにまで、何度もお礼をいうのが理解できない”というのがあります。
この事も恩というもののとらえ方の違いとみれば理解できるのでしょうか?
割り勘も恩を受けたがらない日本人の特性と合致しているのでしょう。
恩といえば、子をもって初めて知る親の恩とか、恩師の先生。他にどんな言葉が思い出されるでしょうか? 命の恩人、自然の恩恵、報恩感謝の生活。恩を仇で返す。鶴の恩返し ・ ・ ・
あの有名なベネディクトの「菊と刀」の中で、日本人の恩という言葉に対するとらえ方について述べられた箇所があります。
日本人は、恩に着る、恩を受けるというように、肩の荷、返すべき借り、全力で果たすべき責任ととらえるため、恩とは、目上の人から受けるもので、単なる知り合いやほぼ同格の人から恩をほどこされると心が落ち着かないそうです。
そして、その言葉の表れが“ありがとう”や“すみません”だといいます。
即ち、こんなにも難しいことをしてもらってとか、済まないといいながら、感謝しますとか、申し訳ありませんということを伝えている。
では、韓国人はどのように考えるでしょうか?
恩といえば、恩恵の恩です。恵みに対する感謝の気持ち。心がよりどころとなってその情のごとく行動することでしょうか?
日本で生活する韓国人がなぜと思う光景のひとつに、
“何気なく頂き物をおすそ分けしたところ、「ありがとう」と言って貰って帰ったのに、翌日出会ったら、「昨日はいいものをいただいてありがとうございました」とお礼を言い、1週間後に出会ったら、また、「この前はありがとうございました」とひとつの小さなことに、こちらは、喜んで貰ってくれたと思ってもう忘れていることにまで、何度もお礼をいうのが理解できない”というのがあります。
この事も恩というもののとらえ方の違いとみれば理解できるのでしょうか?
割り勘も恩を受けたがらない日本人の特性と合致しているのでしょう。
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