2011年5月8日日曜日

118.母の日に考える “恩”

もうすたれた言葉となったのでしょうか? 

恩といえば、子をもって初めて知る親の恩とか、恩師の先生。他にどんな言葉が思い出されるでしょうか?   命の恩人、自然の恩恵、報恩感謝の生活。恩を仇で返す。鶴の恩返し ・ ・ ・

あの有名なベネディクトの「菊と刀」の中で、日本人の恩という言葉に対するとらえ方について述べられた箇所があります。

日本人は、恩に着る恩を受けるというように、肩の荷、返すべき借り、全力で果たすべき責任ととらえるため、恩とは、目上の人から受けるもので、単なる知り合いやほぼ同格の人から恩をほどこされると心が落ち着かないそうです。

そして、その言葉の表れが“ありがとう”や“すみません”だといいます。
即ち、こんなにも難しいことをしてもらってとか、済まないといいながら、感謝しますとか、申し訳ありませんということを伝えている。

では、韓国人はどのように考えるでしょうか?
恩といえば、恩恵の恩です。恵みに対する感謝の気持ち。心がよりどころとなってその情のごとく行動することでしょうか?

日本で生活する韓国人がなぜと思う光景のひとつに、
“何気なく頂き物をおすそ分けしたところ、「ありがとう」と言って貰って帰ったのに、翌日出会ったら、「昨日はいいものをいただいてありがとうございました」とお礼を言い、1週間後に出会ったら、また、「この前はありがとうございました」とひとつの小さなことに、こちらは、喜んで貰ってくれたと思ってもう忘れていることにまで、何度もお礼をいうのが理解できない”というのがあります。

この事も恩というもののとらえ方の違いとみれば理解できるのでしょうか?
割り勘も恩を受けたがらない日本人の特性と合致しているのでしょう。

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