2013年8月20日火曜日

236.古代の日韓関係


日本列島と朝鮮半島が、今日の地形になったのは、

おおよそ1万年前に遡るという。

地質学でいう18000年前の最終氷期最盛期から6000年前までに

海水準が120m以上上昇した。

気温の上昇と同時に水面が高くなり対馬海峡、宗谷海峡、敦賀海峡など

が生じ、アジア大陸から分離された。

朝鮮半島と日本列島の海域に分割されると、両地域はそれぞれ異なる文化

が形成された。

朝鮮半島の櫛目文土器文化と日本の縄文土器文化がそれである。

1969年釜山の東三洞貝塚で九州地方で作られた縄文土器が発見され、

その後、朝鮮半島の櫛目文土器が越高遺跡などで発見された。

それらは、5000年前のものである。

紀元前3世紀頃には朝鮮半島南部から農耕文化が伝来している。

これは、ただの文化伝播に留まらず、人間の移動を前提とする。

種まきから収穫に至るまでの農耕技術や農地の開発、灌漑施設の造営、

さらに、四季折々の変化を熟知している人間集団の移植である。

農耕文化の伝来は従来の日本列島の縄文文化に代わって弥生文化を誕生

させた。

初期に北九州に伝来した農耕文化は急速度に北上して、1世紀の間に本州の

北端まで伝わっている。

農耕文化の伝来により人間は集団の居住地をつくり農業共同体社会を形成

するようになり土器から青銅器、鉄器などの伝播と受容が活発になっていった。

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