熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな 額田王
斉明6年(660)朝鮮半島の百済が、新羅と唐によって侵略され、日本に支援を求めてきました。
日本は、この支援要請を受けて軍を出立させました。
この歌は、こうした背景で斉明7年1月に、九州に向かう途中、熟田津(愛媛県松山市)で、出港のタイミングをはかりながら詠んだ歌だそうです。
昨年末から新年にかけて、所用で対馬沖に行ってまいりました。冬の玄界灘、対馬海峡の海は真っ黒、波だけが白いというのが私の印象です。1350年前の時代に、エンジンもレーダーも無い船で、よくぞそういうことができたものだと、改めて考えさせられました。
斉明6年(660)朝鮮半島の百済が、新羅と唐によって侵略され、日本に支援を求めてきました。
日本は、この支援要請を受けて軍を出立させました。
この歌は、こうした背景で斉明7年1月に、九州に向かう途中、熟田津(愛媛県松山市)で、出港のタイミングをはかりながら詠んだ歌だそうです。
昨年末から新年にかけて、所用で対馬沖に行ってまいりました。冬の玄界灘、対馬海峡の海は真っ黒、波だけが白いというのが私の印象です。1350年前の時代に、エンジンもレーダーも無い船で、よくぞそういうことができたものだと、改めて考えさせられました。
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