平安時代のはじめ815年に編纂された「新撰姓氏録」という書物に、当時の山城・大和・摂津・河内・和泉の五ヵ国に居住し、中央政府の要職を占めていた1182氏の家柄リストが書かれており、そのうち326氏が自ら渡来氏族であるとしています。
応神天皇の時代・・・阿知使主 「党類17県」・・・倭漢直氏
同 弓月君 「人夫120県」・・・秦造氏
同 王仁の子孫・・・西文首氏
アメノヒボコ韓国(からくに)より渡り来し理由 (古事記より)
又、昔、新羅ノ国王之子有リき。名は天之日矛ト謂ひき。是ノ人参渡(まいわた)り来たり。参渡り来たりし所以は、新羅国に一つノ沼有り。名は阿具奴摩ト謂う。此の沼之辺に、一ノ賤しき女昼寝したり。・・・・・・
(ハンちゃんの注釈)一つの沼有り ヌマとは、老マーニム。すなわち、1人の年老いた高貴な夫人がいたの意。 있다 …存在詞、有る、居るの両方に使用する。当時の翻訳ミスだと思います。
新羅の王子、天日矛は阿具という老夫人の下女に恋をしたが、その女が言うには、「そもそも吾は汝の妻となるべき女に非ず、吾が祖(おや)之国に行かん。」と言って、舟に乗り逃げ渡って難波に着いた。そのことを聞いたので、天日矛は、追いかけて渡って来た。
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