2011年1月5日水曜日

95.風水都市 京都 (その2)

お寺無くして平安京。平城京において、仏教が政治に与える影響力が大きくなりすぎた事で朝廷は京都に都を移したことは、以前にも書きました。そしてその水先案内人が、賀茂氏、秦氏などの京都に住んでいた豪族たちです。
中国から伝えられた風水の思想を基に平安京も築造されました。

北に玄武、東に青龍、西に白虎、南に朱雀を配した都の造成でした。
そう、太王四神記に出てきましたよね。

貴船山から東を囲むような青龍の山並、西を囲むような白虎の山々。そしてそれらの山から湧き出る水が鴨川、桂川となって市内を潤し巨椋池を経て淀川から大阪湾に抜ける。     北は山で囲まれ南には広大な平地が広がる理想的な土地柄。
 韓国語ではこういう土地を、明堂(명당・ミョンダン)といいます。
以後、1603年の徳川幕府の成立まで810年間、日本の首都でありました。

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