会見年月日:平成13年12月18日
宮殿 石橋の間
(写真:宮内庁)
宮内記者会代表質問
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。
当時の陛下のお言葉の中にある五経博士が阿自岐氏や王仁博士です。さらに桓武天皇の生母は高野新笠(たかのにいがさ)ですが、愛発関であったであろう深坂峠には、笠朝臣金村が愛発山越をしたみ越路の手向けに立ちて- と歌が詠まれています。
塩津山 打ち越え行けば 我が乗れる 馬ぞつまづく 家恋ふらしも
また、紫式部が父藤原為時と共に越えた塩津山という道のいと繁きを賤の男のあやしきさまどもて「なほからき道なりや」といふを聞きて- と
知りぬらむ 行き来にならす塩津山 世にふる道は からきものぞと
と詠んでいます。からき道とは、漢、韓、加羅来道、つらい、辛い道、塩辛いの意味ですね。
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