見つかった大津の南滋賀遺跡は天智天皇の近江大津
宮への遷都の地であり祭祀に使われる木札「斎串」
などと一緒に見つかっており、こまも祭祀用だった
とみられるとのこと。
ところで最近の滋賀県のびわ湖放送に一言いたい。
アミンチュTVさん。
宇曽川の語源が、金剛輪寺の住職さんの言い伝えで
は、嘘をついて信長の焼き討ちから逃れたこと?
1説にはとの前置きはしているものの余りにも時代
錯誤がおこがましくありませんか?
嘘をついて信長の焼き討ちを逃れたのは、西明寺の
お話で事実だと思いますが、宇曽川の語源がそれと
言われると全く納得いきません。
宇曽川の歴史は秦氏とのかかわりが深く、ひらがな
の出来る前、即ち大和朝廷又はそれ以前の時代に遡
ります。ひらがなの「う」と「そ」の文字は宇曽川
の宇曽が語源だからです。
学芸員さんの説明のように運送川が宇曽川になった
というのは運送が朝鮮語では운송(ウンソン)と発
音することからも察することができます。