2021年2月4日木曜日

429. 応神天皇の時代に百済から阿直岐が来た

 応神天皇の時代に、百済の近肖古王が阿直岐を送っ

た。阿直岐は馬2匹を贈り物として携えやって来て

馬の育て方と乗馬を伝えた。

その後、応神天皇は阿直岐が経書の造詣が深いこと

を知り太子の莬道稚郎子(ウチノキイロチコ)の教

育担当とし、「そなたの国のそなたよりも優れた博士

がいるか?」と尋ねた。そこで阿直岐は、「王仁とい

う博士がいる」と推薦した。それを聞いた倭王は百

済に使臣を派遣して王仁博士を連れてきた。その後

百済の文化と学術が日本に伝授され、日本古代文化

の足がかりと成った。

その応神天皇の母親が神功皇后であり、神功皇后の

父方が息長氏、母方が葛城高良氏である。

神功皇后が九州、朝鮮へ向かったので筑後の国一の

宮である高良大社が存在する。

甲良町で発掘された貨幣


阿直岐は王仁博士を日本に迎えた功により豊郷町に

食邑を与えられその住民は領主の阿直岐を地域の守

護神とした。これが阿自岐神社の由来となる。阿直

岐は畜産の技術も伝えたので近江牛の発祥にもつな

がる。ひらかなの「あじき」の文字の元の漢字は、

「阿自岐」である。

ハングルでは아직기であり漢字では阿直岐となる。

なお古事記では阿直岐を阿知吉師、王仁を和邇吉師

と記されているが吉師は高貴な人の称号である。

また、琵琶湖を挟んで東に阿知吉師、西に和邇吉師

の領地が与えられたことが、その後孫の時代になっ

て犬上御田鋤、小野妹子が遣隋使、遣唐使として送

られるベースとなった。

大津市の和邇駅のそばに小野神社があり시루떡(蒸

し餅)の神様として「しとぎ祭り」が毎年行われて

いる。

 

1 件のコメント:

ハン さんのコメント...

コメントありがとうございます。
後の時代の天智天皇や聖武天皇は滋賀に都をとしましたがいずれも・・・
信長の時代にも安土城が・・・