2024年7月22日月曜日

585. 有朋自遠方来、不亦楽乎

広島に住む学生の頃の友人が、出張の帰途に立ち寄

ってくれました。

野幸(やさち)にて
朋あり遠方より来る また楽しからずや

孔子の論語の中の一文です。この四書五経を伝えた

のも渡来人の五経博士と言われた人たちです。


応神天皇の時代に百済から来たこれらの人々は、果

してどのような経路で琵琶湖の周辺に降り立った

のでしょうか?

百済は敦賀に向かう経路を持ち合わせておらず、新

羅や加羅の案内を通じて、対馬海流に乗って「から

道」をやって来たことは紫式部も知っていた事実

のように思われます。そのような航海術も新羅のお

家芸でした。魏志倭人伝は東と南を取り違えていた

ということを読んだことがあります。今の時代にあ

っても曺国さんのことを曹の文字を使用し、卞の文

字が弁、辨、辯と通ずるということもほとんどネッ

ト上に出て来ないのを見ると、この分野から目を背

けてきた日本人の気質が手に取れるようです。大い

に研究の余地ありと言えます。


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