でしたか?
23日は午前中、お天気があまりよくありませんで
したが、24,25日は最高の秋晴れでしたね。
紅葉のピークと重なり何処も人出がすごかったよう
紅葉のピークと重なり何処も人出がすごかったよう
です。
湖北では 鶏足寺、湖東では 湖東三山の北から西
湖北では 鶏足寺、湖東では 湖東三山の北から西
明寺、金剛輪寺、百済寺。さらには永源寺。湖南市
の善水寺。大津の石山寺、三井寺、比叡山延暦寺。
私の穴場スポットは、東近江市の東光寺と多賀町の
大瀧神社です。
大滝神社
多賀駅より胡宮神社を過ぎて約4Km、犬上川の清
大滝神社
多賀駅より胡宮神社を過ぎて約4Km、犬上川の清
流に面して大滝神社が鎮座しています。ここは俗称
「滝の宮」として知られるとおり、犬上川がここで
約10mの落差をもって流れ落ち、滝の周囲は奇岩
や怪石に目を奪われるほどの景勝の地となっていま
す。
神社の創立は明らかでないが、古来、多賀大社の末
神社の創立は明らかでないが、古来、多賀大社の末
社、あるいは奥宮として考えられている。祭神は高
おお神・闇おお神の二神で、『 湿雨を司り水脈を主
宰し、農作物の生茂繁植の道を補助し給う神』とい
われます。 (おお=雨の下に龍と書く)
犬胴松の由緒
その昔、犬上・式部二族と云われます稲依別王命は
犬胴松の由緒
その昔、犬上・式部二族と云われます稲依別王命は
日頃より猟を好まれ、猟犬小石丸を引き連れ山間を
徘徊されていた処、偶々この渓谷の淵に往来の人々
に危害を加える大蛇がいる事を聞き及び、退治せん
ものと愛犬を伴い渓谷を探し続けた。
七日七夜を過ぎ、仮眠中の危急を知った小石丸が吠
七日七夜を過ぎ、仮眠中の危急を知った小石丸が吠
えたてる事頻りなれば、命は怒り、腰の剣で一刀の
もとに愛犬の首をはねると、首は岩影より命に襲い
掛からんとする大蛇の喉にしっかり咬みつき、大蛇
は遂に淵に落ち悶死せり。命は大いに驚き、この愛
犬忠死に深く感銘し祠を建て之を祀り給う。これ犬
咬明神である。
斯くして命を救った忠犬の霊を犬胴塚に葬り、其処
斯くして命を救った忠犬の霊を犬胴塚に葬り、其処
に松を植えられたのが犬胴松である。今は枯れ果て
その面影を残すのみであったが、お堂を建立してそ
の霊をお祀りするものである。 社頭掲示板
大瀧神社
御祭神 高おお神(たかおおかみ) 闇おお神(く
大瀧神社
御祭神 高おお神(たかおおかみ) 闇おお神(く
らおおかみ) 分水神(みずをわけるかみ)
例祭日 5月5日
御本殿 一間社流造 檜皮葺
御祭神は京都鞍馬の貴船神社にも祀られる水神で、
例祭日 5月5日
御本殿 一間社流造 檜皮葺
御祭神は京都鞍馬の貴船神社にも祀られる水神で、
旧大滝村の総鎮守として、また、犬上川流域の水利
を司る神として広く崇敬されている。創祀年代は確
定できないが、「淡海落穂草」に「大同2年坂上田
村磨将軍の御領にて建立」とある。
現在の本殿は、 標木及び高欄擬宝珠に寛永15年
現在の本殿は、 標木及び高欄擬宝珠に寛永15年
(1638)の銘があり、多賀大社・胡宮神社と共
に徳川家の造営によるものであり、象頭形の木鼻、
花鳥を刻した蟇股欄間等に江戸初期の様式手法をよ
く伝えている。
平成12年9月
多賀町教育委員会 社頭掲示板
平成12年9月
多賀町教育委員会 社頭掲示板