2015年5月1日金曜日

305.滋賀の中のKOREA探訪 その2


雨森芳洲庵で記念撮影を終えた一行は、次の目的地である土倉鉱山跡へと

向かった。

国道303号線を岐阜との県境八草峠の手前まで行くと右前方に土倉鉱山跡の

看板があり、道なりに進むと鉱山の入り口付近に辿り着ける。

「よみがえる土倉鉱山の記憶」という記事がネット検索できるが、

昭和40年まで創業していたというこの鉱山からも戦時中の様子がうかがえる。

北朝鮮の興南(フンナム)に本社があった日本窒素肥料株式会社の土倉鉱業所。

この会社に入社したら最初北朝鮮興南の本社に送られたそうだ。

本日の読売新聞の記事にも「抑留死亡者名簿 新たに1万人」シベリア以外

にも・・・とあってこの地名も載っている。

シベリアでの過酷な強制労働に耐えられない人々は北朝鮮まで送り返されたが

そのまま本土を踏むことなく無念のうちに亡くなった方が多いという。

いわんや植民地支配下にあった人々はである。




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