2020年4月28日火曜日

411. 大友皇子と弘文天皇


その昔、百済の滅亡により唐と新羅の連合軍の進撃
を畏れ近江に都を移した天智天皇が崩御した時、子
の大友皇子は壬申の乱によって破れ、天智天皇の弟
である大海人皇子が天武天皇として即位する形で時
代は継承されていった。
万葉の歌には額田王(かたの大君)との三角関
係が詠まれたが、結果として天武天皇の元妻になっ
ています。(本妻は持統天皇)
天智天皇は、息子の大友皇子を後継にと託してこの
世を去りますが、死後、壬申の乱(672年)によ
ってその夢は断たれます。明治になって弘文天皇と
されていますけど…
弘文天皇陵は大津の園城寺(三井寺)、新羅善神堂
と並んだ位置にあります。三井寺には天智、天武、
持統の三天皇が産湯を使ったとされる閼伽井屋があ
りそれが三井寺の語源とされています。

時は現代、朝鮮民主主義人民共和国においては、初
代金日成の息子で、二代目の金正日の死後の後継者
として三男の金正恩が政権を掌握し、核開発を進め
ながら米朝、南北の頂上会談を実現してきました。
ここのところのコロナウィルスの陰で体調不良から
の重篤説が飛び交っています。万一に備えて、妹の
金与正を後継にと進めていたところですが、金正日
の義母弟の影が大きくなってきました。
その名はキムピョンイル(ピョンは平、イルは一で
すが日もイルです)
壬申の乱前夜のような様相が見え隠れして世界が注
目しています。

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