先日「聖武天皇の足跡を訪ねて」と題する健康ウオー
キングに参加してきました。東大寺の大仏が出来る以前
にこの地に大仏の製造計画があったとの説明をお聞きし
平城京から恭仁京、そして紫香楽宮へと遷都して行った
いきさつに思いを馳せながらその現地を歩いてみて歴史
の一端を垣間見たような気がしました。
信楽焼が世に出るよりももっと昔の時代、西暦742年の出
来事で計画は道半ばで平城京に復帰しました。
この時代まではまだまだ近江の豪族の国家に対する影響が
強かったようで、聖徳太子建立と言われるの寺院の数は
大和に次いで多いのですが、その場所も特定できないとこ
ろもあるようです。
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