2023年11月26日日曜日

554. 犬上の鳥籠の山なる不知哉川...〔Ⅱ〕

NO.546のブログで出てきた万葉集の歌です。

♪犬上のどこの山なるいさや川

    不知とを聞こせ我が名しらすな~

万葉の時代にあっても、どこの山だか知らない川だ

と言ったその場所は、聖徳太子が百済寺草創時に、

祈念して彫った牛頭天王の像のある場所ではないか

とのお話でしたが、、、

今回は、この場所が、壬申の乱の舞台となった場所

であったというお話です。天智天皇と天武天皇、そ

して額田王といわれたさの方即ち坂田の大君の三角

関係についてはNo.519で記しましたが、大津京に

遷都した天智天皇から息子の大友皇子のことを託さ

れた大海人皇子は、672年吉野で蜂起、三重から関

ヶ原に達し米原の息長横川の戦い、さらに犬上川に

て大友軍と対峙して壬申の乱を征した。そして天武

天皇となり律令体制を固めていったようです。

大海人軍は不破道からとは別に御池岳の鞍掛峠から

も滋賀に入って来ていたものと思われます。



狗上之鳥籠山尓有不知哉河不知二五寸許瀬余名告奈

天武天皇は新羅の巻き返しを恐れた天智天皇の大津

京から奈良に都を戻して、新羅との友好関係を結ん

で行きます。神社を護る狛犬は、新羅の貴族が愛し

たサプサル犬がモデルになっているようですが、こ

れも何か意味があるのかも知れません。

高麗尺で建てられた西明寺本堂は、それらの歴史の

生き証人として今も健在しています。

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