NO.546のブログで出てきた万葉集の歌です。
♪犬上のどこの山なるいさや川
不知とを聞こせ我が名しらすな~
万葉の時代にあっても、どこの山だか知らない川だ
と言ったその場所は、聖徳太子が百済寺草創時に、
祈念して彫った牛頭天王の像のある場所ではないか
とのお話でしたが、、、
今回は、この場所が、壬申の乱の舞台となった場所
であったというお話です。天智天皇と天武天皇、そ
して額田王といわれたさの方即ち坂田の大君の三角
関係についてはNo.519で記しましたが、大津京に
遷都した天智天皇から息子の大友皇子のことを託さ
れた大海人皇子は、672年吉野で蜂起、三重から関
ヶ原に達し米原の息長横川の戦い、さらに犬上川に
て大友軍と対峙して壬申の乱を征した。そして天武
天皇となり律令体制を固めていったようです。
大海人軍は不破道からとは別に御池岳の鞍掛峠から
も滋賀に入って来ていたものと思われます。
狗上之鳥籠山尓有不知哉河不知二五寸許瀬余名告奈
天武天皇は新羅の巻き返しを恐れた天智天皇の大津
京から奈良に都を戻して、新羅との友好関係を結ん
で行きます。神社を護る狛犬は、新羅の貴族が愛し
たサプサル犬がモデルになっているようですが、こ
れも何か意味があるのかも知れません。
高麗尺で建てられた西明寺本堂は、それらの歴史の
生き証人として今も健在しています。
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