2025年9月20日土曜日

637. 蘇我氏の正体は…

大和朝廷において大きな影響力を持ち仏教を奨励し

た蘇我氏とは、いったいどのような氏族だったので

しょうか。渡来系氏族だとするならば、朝鮮半島の

古代史について知らなければ渡来人については語れ

ません。ソラボル(서라벌、蘇羅伐)蘇伐という新

羅の古い国号から蘇我氏の名が生まれたようです。

蘇我馬子に通づる系図を逆に遡ると、蘇我稲目、蘇

我高麗、蘇我韓子、蘇我満智、蘇我石河宿禰と竹内

宿禰からつながっているようです。蘇伐が蘇我へと

転じたと見るのが妥当ではないでしょうか。行基図

とよばれる古代の日本地図があります。その精巧さ

は江戸時代の地図と比べても、95パーセントの精

度で作成されていたそうです。これは、新羅が東洋

最古の天文台である瞻星台(첨성대)を作り、天文

と航海の知識をもっていた事と関連し、その渡来人

が実際の航海をなすため地図を作成して来たという

ことは想像に難くありません。滋賀県長浜市の紅葉

の名所として有名な鶏足寺の近くに己高閣がありま

す。由来によると「己高山鶏足寺は神亀元年(72

4年)僧行基によって十一面観音菩薩を本尊として

創建され、名を東光山常楽寺とした」とあります。

近くには古橋製鉄遺跡があり、6世紀末から7世紀

前半に使れていたと考えられているそうです。伽耶

と百済、新羅、高句麗からの渡来人は大和朝廷によ

る律令体制の確立に様々な力関係で影響を及ぼし合

っていたようです。



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