このブログもついに645回目。乙巳の変までやっ
て来ました。(今年も乙巳の年です。)
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を亡ぼし、大化の改
新で天皇中心の中央集権国家体制を目指しました。
中大兄という名前も大兄(큰형)と長男をあらわす
ように大海人皇子から見た表現がなされています。
聖徳太子以来の仏教の隆盛を含む蘇我氏の影響から
政治の仕組みを変える取り組みがなされました。
三井寺の閼伽井屋の井泉は天智、天武、持統の三人
の天皇の産湯に使われた井戸であると言われること
からもわかるように、琵琶湖周辺の地域は、百済、
新羅、高句麗、伽耶諸国の渡来人が敦賀から、から
き道(韓来道)を通って大和に向かう中継地点であ
りました。蘇羅伐、蘇伐が蘇我氏に、加羅来の人が
加津羅来、葛城氏にと代を重ねて変遷したものと思
われます。お池に浮かぶ弁天様は、竹生島がモデル
で古代朝鮮半島の弁韓の本貫、草渓卞氏が神様にな
られたようです。
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