伽耶、百済、倭の連合軍が新羅を攻撃したため、西
暦400年広開土王が新羅の救援に出兵。金官伽耶
は大きな打撃を受けて伽耶の覇権は大伽耶へと移行
していった。洛東江上流の大伽耶の首都は高霊で、
日本書紀においては、意富加羅国(大加羅国)の王
子が都怒我阿羅斯等とあり、古事記には新羅の王子
天之日矛の話もあるが、大伽耶も阿羅伽耶も新羅も
任那以外は区別すら出来ないこちら側からの視線で
あったようです。さて、大伽耶のことを意富加羅国
といった人たちは、敦賀を足掛かりに塩津海道を経
て琵琶湖の向こうに見える大きな山を意富来山と名
付けたのでしょうか。意富氏、多氏(おおうじ)と
伊勢神宮の親神様である多賀大社、天津彦根命を祀
る多度大社と繋がって行くようです。
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| 多度山から木曽三川と名古屋市街 |
