戴いた蓮の花が咲きました |
2024年7月30日火曜日
586. 有朋自遠方来、不亦楽乎 その2
2024年7月22日月曜日
585. 有朋自遠方来、不亦楽乎
広島に住む学生の頃の友人が、出張の帰途に立ち寄
ってくれました。
野幸(やさち)にて |
孔子の論語の中の一文です。この四書五経を伝えた
のも渡来人の五経博士と言われた人たちです。
応神天皇の時代に百済から来たこれらの人々は、果
たしてどのような経路で琵琶湖の周辺に降り立った
のでしょうか?
百済は敦賀に向かう経路を持ち合わせておらず、新
羅や加羅の案内を通じて、対馬海流に乗って「から
き道」をやって来たことは紫式部も知っていた事実
のように思われます。そのような航海術も新羅のお
家芸でした。魏志倭人伝は東と南を取り違えていた
ということを読んだことがあります。今の時代にあ
っても曺国さんのことを曹の文字を使用し、卞の文
字が弁、辨、辯と通ずるということもほとんどネッ
ト上に出て来ないのを見ると、この分野から目を背
けてきた日本人の気質が手に取れるようです。大い
に研究の余地ありと言えます。
2024年7月10日水曜日
584. 文化の伝承 木之本町邦楽器原糸製造保存会
養蚕の技術も渡来人を通してもたらされたものの一
つです。先日賤ケ岳に登ったとき、語り部さんがも
う一つの天女の羽衣伝説として、余呉湖の菅原道真
とは別に、昔、琵琶湖の東にも大きな池があり天女
の羽衣伝説があったと話して下さいました。その帰
り道にシルクの糸を作る工場を見つけて見学を願い
出ました。6月の初旬は未だ蚕が来ないので6月半
ばから7月にしか作業しないとの事でした。糸取り
に時期があることも、どのような工程があるのかも
何も知らずに7月に入って再度訪問しました。
お湯の中で繭から糸をとる作業は梅雨の蒸し暑いこ
の時期が一番良いそうで、スポットクーラーでは追
いつかない汗だくの作業場でした。糸を紡いでいく
と最後には蛹のお出ましです。韓国語では蛹のこと
を번데기といいます。잠실チャムシルの地名は蚕室
と書きまさに養蚕の部屋のことです。蚕200キロ
を紡ぐと聞いて、あの軽いカイコ200キロと気の
遠くなる感じがしました。