2024年7月30日火曜日

586. 有朋自遠方来、不亦楽乎 その2

韓国忠清南道扶余郡場岩面の面長さんを始めとする
一行5名が、昨年の東近江市教育長さんを始めとす
る訪韓団のお返しとして、7月25日から3泊4日
の日程で東近江市を表敬訪問されました。蒲生町の
三層石塔で有名な石塔寺が取り持つ、32年間の友
好関係が近年また活発になってきた模様です。東近
江市の旧八日市には聖徳町があって聖徳中学校があ
りますが、文字通り聖徳太子ゆかりの地として、市
の内外には奈良に勝るとも劣らない数の太子ゆかり
の寺院があります。552年欽明天皇13年に百済
の聖明王の使者によって伝えられた仏教ですが、果
たしてこの使者はどのような経路で、奈良に辿り着
いたのでしょうか。瀬戸内海を渡って難波から奈良
そうして滋賀に辿り着いたというのでしょうか。

戴いた蓮の花が咲きました

水は高いところから低い所へ、文化も同じです。
美しい自然と文化、歴史を大切にする双方の方々は
同じ思いを持ってお互いを尊敬しておられました。
素朴な蒲生町の三層石塔は琵琶湖から東に日野川と
愛知川の間の高台にあります。八日市に聖徳町の名
はありますが、聖徳太子が活躍したのは奈良の都で
すから、地元には刹那、古刹しか残っていません。

滋賀の上高地にて

 さて、場岩面韓日親善協会会長のあいさつです。
「よき友は人生の宝物」として長年つないできた韓
日の絆をさらに大きなものにしていきたいと話され
ました。大自然と農業を奥永源寺で満喫され、聖徳
祭の江州音頭と花火、近江牛を堪能して友情を確認
し帰途につかれました。

2024年7月22日月曜日

585. 有朋自遠方来、不亦楽乎

広島に住む学生の頃の友人が、出張の帰途に立ち寄

ってくれました。

野幸(やさち)にて
朋あり遠方より来る また楽しからずや

孔子の論語の中の一文です。この四書五経を伝えた

のも渡来人の五経博士と言われた人たちです。


応神天皇の時代に百済から来たこれらの人々は、果

してどのような経路で琵琶湖の周辺に降り立った

のでしょうか?

百済は敦賀に向かう経路を持ち合わせておらず、新

羅や加羅の案内を通じて、対馬海流に乗って「から

道」をやって来たことは紫式部も知っていた事実

のように思われます。そのような航海術も新羅のお

家芸でした。魏志倭人伝は東と南を取り違えていた

ということを読んだことがあります。今の時代にあ

っても曺国さんのことを曹の文字を使用し、卞の文

字が弁、辨、辯と通ずるということもほとんどネッ

ト上に出て来ないのを見ると、この分野から目を背

けてきた日本人の気質が手に取れるようです。大い

に研究の余地ありと言えます。


2024年7月10日水曜日

584. 文化の伝承 木之本町邦楽器原糸製造保存会



養蚕の技術も渡来人を通してもたらされたものの一

つです。先日賤ケ岳に登ったとき、語り部さんがも

う一つの天女の羽衣伝説として、余呉湖の菅原道真

とは別に、昔、琵琶湖の東にも大きな池があり天女

の羽衣伝説があったと話して下さいました。その帰

り道にシルクの糸を作る工場を見つけて見学を願い

出ました。6月の初旬は未だ蚕が来ないので6月半

ばから7月にしか作業しないとの事でした。糸取り

に時期があることも、どのような工程があるのかも

何も知らずに7月に入って再度訪問しました。

お湯の中で繭から糸をとる作業は梅雨の蒸し暑いこ

の時期が一番良いそうで、スポットクーラーでは追

いつかない汗だくの作業場でした。糸を紡いでいく

と最後には蛹のお出ましです。韓国語では蛹のこと

を번데기といいます。잠실チャムシルの地名は蚕室

と書きまさに養蚕の部屋のことです。蚕200キロ

を紡ぐと聞いて、あの軽いカイコ200キロと気の

遠くなる感じがしました。






2024年7月1日月曜日

583. ごはさんで願いましては・・・

子供の頃、お寺でそろばん塾をやっておられて通っ

ていたことを覚えています。ごはさんで願いまして

は~○○円也、‥‥○○円では?

このごはさんが、ご破算であったとは気が付きませ

んでした。本日7月1日、今年の前半戦のよくない

思い出をご破算でリセット願いまして、新しい月の

出発にしたいものです。

いろんなダリア