日本において、高句麗尺に基づいて建てられた可能性がある建築物は、明確に記録されているものは非常に少ないですが、渡来人の影響を受けた古代建築の中にその痕跡が見られる可能性があります。以下に考えられる例を挙げます。
1. 法隆寺(奈良県)
• 法隆寺の建築には渡来人の技術が大きく関与しており、朝鮮半島由来の建築技術や設計思想が採用されています。
• 五重塔や金堂などの基準寸法に高句麗尺が使用されていた可能性も指摘されていますが、これについては明確な証拠が不足しており、学術的には推測の域を出ません。
2. 飛鳥寺(奈良県)
• 日本最古の本格的寺院である飛鳥寺(法興寺)は、渡来系氏族の蘇我氏が建立したもので、建築において朝鮮半島の技術が取り入れられています。
• 飛鳥寺の創建時の設計に高句麗尺が使われた可能性が考えられます。
3. 広隆寺(京都府)
• 京都の広隆寺は、渡来系氏族の**秦氏(はたし)**によって創建された寺院で、弓月君の伝承に深く結びついています。
• 秦氏は朝鮮半島から移住した一族であり、高句麗や新羅の技術を持ち込んだ可能性が高いため、高句麗尺が建築基準に反映されたかもしれません。
4. 古墳時代の渡来人関連建造物
• 高句麗尺に基づいた建築がもっとも利用された可能性があるのは、古墳時代の渡来人が関与した建築物です。
• 滋賀県や近畿地方における渡来人の活動範囲では、高句麗尺が木造建築や祭祀施設に使われた痕跡があるかもしれませんが、これらは現存していない可能性が高いです。
5. 石塔寺(滋賀県)
• 滋賀県の石塔寺は、渡来人の影響を受けた寺院とされており、建築基準に高句麗尺が使われた可能性があります。
高句麗尺が確認されていない理由
• 日本で高句麗尺が建築に直接使用された記録は少なく、多くの場合、後の日本独自の建築尺(曲尺や鯨尺)に置き換わったため、その痕跡が不明瞭になっています。
• また、現存する建築物が平安時代やそれ以降に再建された場合、初期の建築基準が分からなくなることも多いです。
研究の可能性
高句麗尺が実際に使われた建物を特定するには、考古学的な発掘調査や初期建築物の寸法分析が必要です。湖東三山の西明寺のように、渡来人の影響を受けた地域で高句麗尺が使用されていた痕跡を探ることは、今後の研究課題といえます。
1 件のコメント:
1.法隆寺火災670年落雷火災、2.飛鳥寺887年と1196年落雷火災本堂消失、3.広隆寺818年火災で全焼したが弥勒仏は無事だった。
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