2026年3月26日木曜日

663. 白村江の戦い

百済復興を懸けた白村江の戦いは、忠清南道の錦江

近郊へ663年10月4日~5日(天智天皇2年8

月27日~28日)に百済への援軍を送るかたちを

とったが大敗した。660年百済滅亡から663年

白村江への援軍派遣まで大和朝廷内では、様々な意

見の対立があり暗殺が繰り返されていた模様です。

万葉集に額田王(坂田息長氏?)の歌があります。

「熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば

潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」

朴市秦田久津(えちのはたのたくつ)もこの戦いで

亡くなっています。その居宅と思われる名残りが旧

愛知郡秦荘町(愛知郡愛荘町)上蚊古墳群にありま

す。朴氏の本貫は大伽耶の首都高霊と繋がります。

保木山のカタクリ

時を遡ること約100年、任那復興の命を受けて、

近江毛野(おうみのけぬ)や物部荒甲(もののべの

あらかい)が朝鮮半島南部に渡って行った。現地で

客死した父近江毛野を悼み九州で詩を詠んだとされ

る坂田の大姫と額田王が被って見えてしまいます。



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