2026年4月18日土曜日

668. 高句麗の滅亡

668年朝鮮半島では百済に続き高句麗も唐と新羅

の連合軍によって滅ぼされました。大和朝廷に援軍

の要請に来ていた若光はその後、武蔵国に高麗郡を

与えられ、1799人を率いて帰化させたとありま

す。関東における坂東武士の走りであり、坂東(ば

んどう)は半島の朝鮮語読みです。唐、新羅連合軍

による侵略を恐れた天智天皇は、都を近江大津に移

しましたが、672年壬申の乱に勝利した天武天皇

は、再び都を飛鳥に戻しました。百済一辺倒の天智

天皇から、新羅ともうまくやって行ける天武天皇に

代わって、律令国家体制は確立していきます。

三保の松原の日の出

壬申の乱の勃発で大津から母尼子姫と共に宮を出て

北に向かい関ヶ原、横川、犬上の戦い等で活躍した

長男高市皇子の名前が奈良県高市郡として残ってい

ます。高市はタケチノミコと読みTAKAICHI

のㅏ ㅣをㅐと発音します。これは韓国式の発音の仕

方ですが、怪事が語源とされる「ケチをつける」と

いう言葉も意味深で、奈良県高市郡はタカイチグン

と読み、総理のお名前もタカイチと言われます。

高市皇子は持統、文武天皇の時代に太政大臣として

政治の中心にいたのですが、その子長屋王は藤原氏

の一族によって歴史から消し去られます。


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