2009年8月10日月曜日

30.韓国研修ツアー報告


8月1日~3日まで、夏休みの土日をはさんだ豪華な韓国研修ツアーに行ってきました。
名古屋は雨の出発でしたが、ソウルは晴れ。二日目も日本は雨でしたが韓国は晴れ。天候にも恵まれた3日間でした。
写真は2日目、オプションの第3トンネル見学に先立ちトラサン駅。
手前56kmソウル、向こう側205kmピョンヤンとあります。
 非武装地帯を越えると開城(ケソン)工業団地です。道路も鉄道もつながっており、南北の合意ができれば自由に往来できます。駅構内にはユーラシア横断鉄道路線図なるものがあり、ヨーロッパのスペインやイギリスまでつながっているよと言わんばかりでした。
 その後、目的地の第3トンネル。洞窟独特のひんやりとした空気で冷をとりましたが、さむいのはソウルから僅か52キロのところに、地下73mの深さで、幅2.1m、高さ1.95m、長さ1635mの南侵用トンネルが掘られていた事実。 非武装地帯の南方限界線まで435mのところまで掘られていたんです。これは、北朝鮮の武装兵士1万人が1時間以内に移動できる規模だそうです。


 日曜日の午後のひと時、ソウルの中心を流れる清渓川。 

李明博大統領がソウル市長の時に、復元計画が持ち上がり今では市民の憩いの空間となっていました。





 清渓広場を越えるとソウルのメインストリート、李舜臣将軍が迎えてくれます。そう、長浜の名付け親、豊臣秀吉の朝鮮出兵を迎え撃った名将です。

2009年7月25日土曜日

29.謎の多い浮世絵師 写楽

 写楽の作品が世に出たのは、1794年(寛政6年)。 活動期間は1年にも満たなかったといいます。
しかし、江戸時代の浮世絵として、誰もが知っている作品を挙げると、写楽の作品は、ひとつ、二つではないと思います。 いや、他の人物の作品は別として、写楽の作品かどうかは判別できるくらい現代においてよく知られています。 しかし、当時はどうだったんでしょうか。 歌舞伎役者のポスターとして、ちょっとくせのあるあの描き方は、役者たちにとっても、歌舞伎ファンにとっても、そう面白くはうつらなかったのではないでしょうか。 そのことが、作家としての寿命を縮めたのか、あるいは他に何か理由があったのか。
 梅原猛氏は、歌川豊国が写楽と同一人物だという説を解かれます。 当時の時代背景、技法、歌川豊国の姓、倉橋(くらはし)を逆から読んで(シャラク)としたところにも根拠があると。
東洲斎写楽 この名前があるのに、写楽斎ともいい、しゃらくさいとたんかを切るようなイメージ。 ここにも、歌川豊国が自身の別の内面を表現するために、このペンネームを使ったんだろうとする根拠があるのかも知れません。
 韓国では、この写楽について、もしかしたら実は韓国人?という説が、あちらこちらでささやかれています。金弘道という人物が、日本に行って仕事をしていた記録があるのに、写楽が活躍したちょうどその時期の記録のみが残っていない、空白の時間だというのです。逆に写楽はというと、寛政6年の約10ヶ月の活動で、今の日本人で知らない人がいないくらいの歴史上の人物となったにもかかわらず、生没年不詳の謎多き人物である訳です。
 いずれにせよ写楽の研究はいろいろな方面の研究者の手によって、今後ますます研究がなされていくと思いますが、客観的なデータの蓄積をもとになしてもらいたいものです。

2009年6月26日金曜日

28.6.25の意味

1950年6月25日は、朝鮮戦争勃発の日です。
1945年8月15日。日本では、終戦を迎えましたが、朝鮮半島では、この日は日本の植民地支配からの開放の日でありました。 ソ連の参戦後に終戦を迎えた日本が、アメリカのマッカーサー元帥のもと、憲法制定等、戦後の日本を造り替えていく中、朝鮮半島は、理念対立の犠牲となり、38度線を軍事境界線として、分断統治されるようになりました。 同じ言葉を使う一つの民族が、北の共産主義と南の自由主義とに別れることにより、東西冷戦といわれた戦後体制が始まって、以来現在に至るまで南北分断の悲劇は続いています。
 そんな中で、1950年6月25日北の共産軍が南侵することによって、戦争が始まりました。その勢力は一旦、釜山を除く半島全土までを押さえる勢いでしたが、アメリカのマッカーサー率いる国連軍の仁川上陸を契機に形勢は逆転し、朝鮮半島全土が国連軍によって収束されるところまでいきました。 が、しかし今度は、中国共産軍の参戦により、また、もとの38度線に戻されてしまいました。
1953年に休戦協定がなされ現在に至っています。
南北統一の実現は、民族の所願であるにもかかわらず、これほどまでに難しい問題として、複雑に混迷しています。

2009年6月17日水曜日

27.6月6日のソウルが大混雑だった訳


권 상우ファンのメンバーが韓国に行って大渋滞に巻き込まれた6月6日。 この日は、顕忠日(현충일という韓国の公休日で、国の為に犠牲となった死者の霊に対し、国立墓地にて、大統領をはじめ国家の要人たちが黙祷をささげる제사が行われた日でした。この歴史は高麗の時代にさかのぼります。
 国の為の犠牲といえば、私たちには、戦争の犠牲者というイメージが強いですが、韓国に於けるそれは、もちろん戦争の犠牲者も含まれますが、むしろ、国家の独立のため、外敵から国を守るためというイメージが強いのではないでしょうか。 この  という言葉にも儒教の精神が・・・。わが国でなくなりかけている言葉が、今もこの国には根づいているようです。

2009年6月6日土曜日

26.新型インフルエンザ

6月に入って、もうこのあいだの緊張感は何だったのか、というくらい新型インフルエンザのことは、人々の記憶から消え去っているように思えますがいかがでしょうか?
その影響は、関空から韓国に旅立つ旅行者たちにとっては、この6月格安チケットの購入チャンスとして現実味を帯びているのではないでしょうか?
アジア圏で最初に感染者が出た韓国は、その後のニュースでは、アメリカに次いで早く遺伝子レベルの解明に成功したといい、わが国においては、高校生を中心に集団感染が進み、我が滋賀県でも県立高等学校が1週間休校、中学校では、春の中体連が中止、マスクが足りないなどと、一騒動起きそうな雰囲気でした。今後、今回の一連の経緯については様々な検証がなされると思いますが、韓国の食生活、とりわけキムチに代表されるその免疫効果についても、私たちは認識しておきたいものです。

2009年5月13日水曜日

25.어버이날  と 스승의날

어버이날 とは、韓国の母と父の日。 即ち、 머니と아지の日。 5月8日(金)がその日で公休日でした。 一般的に、父母と書くように父親を先にしますが、気持ちの上ではやはり母の日なのでしょう。
스승의날 とは、先生の日。5月15日がその日で、これは、ハングル文字を作った世宗大王の誕生日だそうです。 共に儒教の精神、感謝の気持ちが、表されております。

2009年5月7日木曜日

24.계절의 여왕 5월

一年中で一番過ごし易い季節、自然の美しい季節として5月のことを季節の女王といいます。
日本では、ゴールデンウィークですね。皆さん 어떻게 지내셨습니까?
連休を利用して韓国に行ってこられた方もいらっしゃると聞いています。また、みやげ話を楽しみにしています。
さて、長浜韓国語教室では、以前から要望のあった韓国研修ツアーを8月の上旬に計画しています。
できるだけ皆さんのご要望にそえるよう準備しますので、積極的な関与を 잘 부탁합니다.