2015年6月29日月曜日

309.日韓基本条約50周年記念


日韓基本条約締結50周年の記念式典が日韓それぞれの

相手国大使館にて6月22日月曜日にとり行われました。

当初両国首脳は参加しない方針でしたが、双方の働きかけ

により韓国外相の訪日、会談がなされ少しずつではありますが

日韓関係は雪解けムードなのではないでしょうか?

そもそも日韓基本条約には

日韓請求権並びに経済協力協定という内容があります。

お互いの国の思わくが交差して、それを取りまとめようとする時

翻訳、通訳のしめるウエートは大きい。

雨森芳洲の時代もそうであったと推察されます。

日韓関係のみならず好むと好まざるとにかかわらず国際交流

の波は私たちの周囲に押し寄せてきています。

相手の国に関心と理解を示すことがますます必要になってきて

いるのではないでしょうか。



2015年6月17日水曜日

308.MERS(マーズ)の韓国内拡散


20人目の死亡が報じられる韓国内のMERS。

韓国では메르스(メルス)と呼んでいますが、

なかなか終息に向かわない恐さがあります。

ソウルにある日本人学校でも先週、感染症専門医の先生が

行って講演され、自己防衛の手立てを話されたそうです。

初期対応の遅れが命取り。

これは確か昨年のセウォル号の教訓だったのでは ・ ・ ・ 。

今となっては後の祭りです。

Better safe than sorry  

“転ばぬ先の杖”はお持ちでしょうか?

一日も早く終息しますように。

2015年6月10日水曜日

307.時の記念日由来



近江神宮のホームページからの抜粋です。

6月10日は「時の記念日」です。天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづき、その日を太陽暦に換算して、定められました。今日ではカレンダーを見ると実にさまざまな記念日が掲載されていますが、各種の記念日のなかでも時の記念日は最初期に定められたものということができます。
 第1回時の記念日は大正9年(1920)のことでした。大正中期という時代背景からもうかがわれるように、衣食住をはじめ社会生活の近代化推進という当時の趨勢のなかで、とくに時間厳守、時間割による行動規律、時間を節約することによる効率性の向上が近代生活の基本として位置づけられました。そのようななかで、この年1月、伊藤博邦(博文の養子)を会長とし、渋沢栄一らはじめ政官界の有力なメンバーを役員として、文部省の外郭団体として生活改善同盟会という財団法人が組織され、生活改善運動を先導して展開することになりました。
 同会は、その実行目標の第1項に「時間を正確に守ること」と謳い、文部省もそれに呼応して時間尊重の教育的意義を重視し、同盟会と文部省との共催によって、同年5月16日から7月4日まで、東京お茶の水の東京教育博物館(現在の湯島聖堂の建物 当時文部省直轄の博物館)で「時の展覧会」を行い、古時計・暦・天文関係資料、時間節約・作業能率化のための各種資料等を出展紹介しました。
 天智天皇の故事ゆかりの6月10日を前後する時期に会期が設定されたとも考えられますが、その日を迎えるにあたり、東京天文台長の河合章二郎は記念行事を提唱し、「漏刻祭」を行って、時の大切さを宣伝することになり、続いて「時の記念日」の名称が決定しました。
 第1回時の記念日の事業として、東京市内小中学校で記念講話、天智天皇関係記念陳列、神社・寺院・教会・大工場で当日正午一斉に鐘鼓・汽笛等で時報、各新聞社説依頼等々が行われました。以来、時の記念日の行事は毎年継続されることになり、翌年の第2回から行われた「時の功労者」の表彰など、さまざまな行事が行われてきましたが その後、昭和15年11月、近江神宮が創建され(地鎮祭は昭和13年の6月10日でした)、翌昭和16年6月、最初の時の記念日当日、第1回近江神宮漏刻祭が行われ、絶えることなく現在に及んでいるのです。
 さらに下って、滋賀県大津市では、昭和30年2月23日、時間励行促進協議会を開催し、「時を守る会」と名称を決定、設立総会に切り換え、初代会長に大津商工会議所会頭岩崎定次郎を選任。今日まで営々と歴代商工会議所会頭が会長に就任し、時間励行促進の啓発活動を展開しています。
 また東経135度の子午線の町であり、日本標準時のもとになっている兵庫県明石市では、平成初期より自治体・経済界・各種団体が一丸となって、時のウィークの名称で時の記念日の前後1週間に各種のイベントを開催し、市民一般への時間尊重の認識とともに、時の記念日を国民の祝日にする運動も行われています。
 参考 
  平出裕子「「時の記念日」の創設」 (『日本歴史』727号 平成20年10月)
     同   「生活の合理化運動」 (『日本歴史』770号 平成24年7月)

2015年5月23日土曜日

306.平城京の土器に韓国ゲーム


奈良市の平城京跡で出土した土器の底に韓国の伝統的な

すごろくユンノリの盤を描かれたようなものが発見された。

万葉集の歌に出てくるすごろくが土器のかたちで実証された。

日本の古代史を研究するとき韓国語の固有語とリンクする言葉が

いろいろあるのではないかと思われます。

2015年5月1日金曜日

305.滋賀の中のKOREA探訪 その2


雨森芳洲庵で記念撮影を終えた一行は、次の目的地である土倉鉱山跡へと

向かった。

国道303号線を岐阜との県境八草峠の手前まで行くと右前方に土倉鉱山跡の

看板があり、道なりに進むと鉱山の入り口付近に辿り着ける。

「よみがえる土倉鉱山の記憶」という記事がネット検索できるが、

昭和40年まで創業していたというこの鉱山からも戦時中の様子がうかがえる。

北朝鮮の興南(フンナム)に本社があった日本窒素肥料株式会社の土倉鉱業所。

この会社に入社したら最初北朝鮮興南の本社に送られたそうだ。

本日の読売新聞の記事にも「抑留死亡者名簿 新たに1万人」シベリア以外

にも・・・とあってこの地名も載っている。

シベリアでの過酷な強制労働に耐えられない人々は北朝鮮まで送り返されたが

そのまま本土を踏むことなく無念のうちに亡くなった方が多いという。

いわんや植民地支配下にあった人々はである。




304.第3回滋賀の中のKOREA探訪報告 その1


2015年は桜の季節に雨が多かったのですが、ゴールデンウィークは

天候に恵まれる日が多そうですね。

昨日は4月第5週の木曜日とあって恒例の韓国料理会食でした。

長浜教室のメンバーと先輩2名と校長先生?まで来ていただいて

総勢20名でオッパをほぼ占拠してお騒がせいたしました。

皆様のご満足なご様子がお写真の中におさまっていました。

第5木曜はやはり無視できませんね~。

さて、それにさきがけお昼の教室のメンバーと雨森芳洲庵を訪ねました。

芳洲庵は本来の休館日にもかかわらず私たち10名のために開館してくださり

道中、高時川の堤防では無数の鯉のぼりの歓迎を受けました。

NHKのハングル講座で紹介された芳洲庵のDVDは受講生にとっては

やさしい韓国語の勉強会にもなりましたね。

折しも5月5日は「21世紀の朝鮮通信使 日韓友情ウオーク」が

彦根市役所前から垂井駅まで約34km歩く日になっています。

http://www.city.hikone.shiga.jp/0000006109.html

新緑の下、皆さんご一緒に交流の輪を広げましょう‼


2015年4月19日日曜日

303.第3回 滋賀の中のKOREA探訪


来たる5月30日木曜日。

第5木曜日を利用して滋賀の中のKOREA第3弾を計画しました。

第2回目に計画して、大津方面に変更になった湖北に向かいます。

信長の時代に鉄砲生産で名を馳せた国友。

そのルーツを土倉鉱山にたずねます。

また、88年ソウルオリンピックを成功に導いた盧泰愚大統領が

宮中晩さん会で称賛した朝鮮通信使、雨森芳洲の地元高月町雨森の

東アジア交流ハウス雨森芳洲庵

これらを第3回の計画に入れました。

長浜市民交流センター駐車場午後1時30分集合、出発とさせて

いただきます。関心のある方は、メールまたは教室まで。

夜はそのまま恒例の食事会になだれ込みます。