万葉の時代から歌われている古代日本の文学の世界
額田王の「熟田津に 船乗りせむと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」という歌は、舒明
天皇(息長足日広額天皇)と中大兄皇子(のちの天
智天皇)らが百済に援軍を送る時の湊での光景だと
されています。時の天皇や皇族の歌から庶民の歌ま
で歴史の生きた証人として、その時代を検証する材
料として古文を学ぶ価値は多々あると思います。
ペンネーム額田王(ぬかたのおおきみ)はさぬかた
(坂田)のおおきみのことであると坂田郡誌で見た
ことがあります。天智天皇の子、弘文天皇の孫とさ
れる淡海三船という人物の名前も意味深で、琵琶湖
に浮かぶ三つの船は渡来三国人(百済人、高麗人、
新羅人)のことを言うのでしょうか。古代三関(愛
発関、不破関、鈴鹿関)のことなのでしょうか。三
つ巴の神社やお寺のマークと共に天智天皇と大海皇
子(後の天武天皇)の間にいた額田王、そして天下
分け目の戦いがなされた関ヶ原の不破の関での壬申
の乱の大海人皇子側の勝利。滋賀の古い地名を辿る
とまだまだ新しい発見がありそうです。
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