2026年6月3日水曜日

673. 大伽耶と意富加羅国

伽耶、百済、倭の連合軍が新羅を攻撃したため、西

暦400年広開土王が新羅の救援に出兵。金官伽耶

は大きな打撃を受けて伽耶の覇権は大伽耶へと移行

していった。洛東江上流の大伽耶の首都は高霊で、

日本書紀においては、意富加羅国(大加羅国)の王

子が都怒我阿羅斯等とあり、古事記には新羅の王子

天之日矛の話もあるが、大伽耶も阿羅伽耶も新羅も

任那以外は区別すら出来ないこちら側からの視線で

あったようです。さて、大伽耶のことを意富加羅国

といった人たちは、敦賀を足掛かりに塩津海道を経

て琵琶湖の向こうに見える大きな山を意富来山と名

付けたのでしょうか。意富氏、多氏(おおうじ)と

伊勢神宮の親神様である多賀大社、天津彦根命を祀

る多度大社と繋がって行くようです。

多度山から木曽三川と名古屋市街






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