2026年9月9日水曜日

688. 近江西明寺と二階堂宝蓮院

近江西明寺と二階堂宝蓮院は、どちらも滋賀県(近

江国)に存在し、「織田信長の焼き討ち・破壊」と

いう歴史的な悲劇で深く結びついている歴史的な寺

院です。 [1, 2]

それぞれの概要と、両寺を結ぶ歴史的背景は以下の
通りです。 [1, 2]

1. 近江西明寺(さいみょうじ)
  • 概要: 湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百
済寺)の一つに数えられる天台宗の古刹です。 [1]
  • 歴史と特徴: 平安時代初期(834年)に
仁明天皇の勅願により開創されました。鎌倉時代

に 建立された本堂と三重塔は、釘を一本も使って

いない純和様建築であり、国宝第1号に指定され

ています。[1, 2]
  • 信長の焼き討ち: 元亀2年(1571
年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際、その

火は湖東地域にも及びましたが、西明寺は幸いに

も本堂や三重塔、二天門などの主要伽藍が焼け残

り、当時の貴重な姿を現代に留めています。 [1]
2. 二階堂宝蓮院( ほうれんいん)
  • 概要: 甲良町下之郷にあったとされる、
鎌倉幕府の有力御家人・二階堂氏の菩提寺です。

現在は寺院としては残っておらず、「二階堂宝蓮院

跡」として石碑や史跡が残るのみとなっています。

[1, 2, 3]
  • 歴史と特徴: 鎌倉時代末期の知将である
二階堂道薀(にかいどう どううん)がこの地に居

住しており、彼のゆかりの広大な大寺院(西大寺

近江八大寺の筆頭)として栄えました。本尊は、

約5メートルの巨大な「丈六阿弥陀如来(二階堂

仏)」でした。 [1, 2]
  • 信長による破壊と本尊の移設: 織田信長
が近江を攻めた際、二階堂宝蓮院は完全に破壊さ

れてしまいました。信長はその後安土に「浄厳院

(じょうごんいん)」を建立し、宝蓮院の本尊で

あった阿弥陀如来をそこへ無理やり移設させまし

た(現在も安土の浄厳院に本尊として安置されて

います)。 [1, 2]

両者の位置関係と繋がり
  • 地理的近さ: 西明寺(甲良町池寺)と二
階堂宝蓮院跡(甲良町下之郷)は車で数分の距離

にあり、同じ甲良町内の鈴鹿山麓平野部に位置しま

す。
  • 文化財の関わり(平 景吉): 西明寺にあ
る重要文化財の「石造宝塔」(1304年造)を建

てた名工(石大工)平景吉(たいらの かげよし)

は、二階堂氏が権勢を誇った鎌倉時代後期にこの地

域で活躍した大工です。この地域の鎌倉文化の隆盛

において、西明寺と二階堂氏は深い文化的背景を共

有していたと考えられています。 [1, 2, 3, 4]
信長の近江侵攻によって、「奇跡的に国宝が焼け残
った西明寺」と、「完全に破壊され本尊を安土へ奪
われた二階堂法蓮院」という、対照的な運命をたど
った二つの名刹と言えます。 [1, 2]
扇状地に水を引いた下之郷川

二階堂宝蓮院とともに西大寺の近江八大寺とされた

安土の佐々木慈恩寺は、織田信長によって焼失し、

跡地に浄厳院が建てられた。その住所は現在も安土

町慈恩寺で、立派にそびえ立つ楼門は室町時代建立

のものだという。秋には例年、浄厳寺国際芸術祭が

開催されているそうです。





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