2026年9月17日木曜日

689. 息長宿禰と神功皇后


日撫神社御由緒

『延喜式』神名帳に記載されている坂田郡の式内社
(名神小社)です。伝承では、神功皇后の祖先が代
々住んだ地とされ、皇后が三韓征伐の帰途に父・息
長宿禰王と少毘古名命を祀ったのが始まりとされて
いる。即ち、大和から瀬戸内海を経由して筑紫国に
赴いた神功皇后は、現地で応神天皇を産み、籠(シ
ョウケ)で背負って飯塚の大分(だいぶ)八幡宮に
向かわれた(ショウケ越え)更に、帰途は対馬海流
に乗って、日本海を北上し、敦賀に降り立ち、加羅
来道を越えて、琵琶湖の大浦から、竹生島を経由、
親元の近江町顔戸に立ち寄り、ここに父・息長宿禰
王と少毘古名命を祀ったのが始まりとのことす。
名の顔戸(ごうど)は神戸、GODにもつながる。
後漢霊帝四世の孫、阿智使主の族也とあります。
漢霊帝とは誰なのかを検証してみます。
漢は韓で加羅を指し、後漢とは、400年の高句麗
広開土王の襲撃で金官伽耶が撤退し、洛東河上流に
位置し盟主国となった大伽耶(首都:高霊)です。
霊帝の4世の孫が阿智使主で、阿直岐(阿自岐)は
犬上郡豊郷町安食に居を構え、後に応神天皇の第1
皇子の教育を任され、王仁博士を召喚している。
境内では毎年9月第3月曜日に、800年の歴史
あると伝わる奇祭「奉納角力と角力おどり」が行わ
れます。


0 件のコメント: