大和朝廷において大きな影響力を持ち仏教を奨励し
た蘇我氏とは、いったいどのような氏族だったので
しょうか。渡来系氏族だとするならば、朝鮮半島の
古代史について知らなければ渡来人については語れ
ません。ソラボル(서라벌、蘇羅伐)蘇伐という新
羅の古い国号から蘇我氏の名が生まれたようです。
蘇我馬子に通づる系図を逆に遡ると、蘇我稲目、蘇
我高麗、蘇我韓子、蘇我満智、蘇我石河宿禰と竹内
宿禰からつながっているようです。蘇伐が蘇我へと
転じたと見るのが妥当ではないでしょうか。行基図
とよばれる古代の日本地図があります。その精巧さ
は江戸時代の地図と比べても、95パーセントの精
度で作成されていたそうです。これは、新羅が東洋
最古の天文台である瞻星台(첨성대)を作り、天文
と航海の知識をもっていた事と関連し、その渡来人
が実際の航海をなすため地図を作成して来たという
ことは想像に難くありません。滋賀県長浜市の紅葉
の名所として有名な鶏足寺の近くに己高閣がありま
す。由来によると「己高山鶏足寺は神亀元年(72
4年)僧行基によって十一面観音菩薩を本尊として
創建され、名を東光山常楽寺とした」とあります。
近くには古橋製鉄遺跡があり、6世紀末から7世紀
前半に使れていたと考えられているそうです。伽耶
と百済、新羅、高句麗からの渡来人は大和朝廷によ
る律令体制の確立に様々な力関係で影響を及ぼし合
っていたようです。